モノミオン ラボ

モノミオン ラボ

monomion Labo

TBS「吉田 明世アナウンサー」車に飛び込みたくなったと自殺願望語る

 

TBSアナウンサーの吉田明世アナウンサーがラジオで不思議な話をしていました。

 

夏休みの旅行で行ったハワイで、思わず走っている車に飛び込んで死んでやろうと思ったと自殺願望を語っています。

 

仕事でもなかなか良い立ち位置にいらっしゃり、成功しているように見える彼女にも思い詰めることがあったのでしょうか。

 

 

TBSラジオ「たまむすび」のカンニング竹山さんとのオープニングトーク

 

仕事が忙しく、まだ行けてなかった新婚旅行を兼ねて、一年越しに夫婦でハワイへ行った吉田明世アナウンサー。

夜更かしのできない普段の生活から一時的ですが離れられたということで、ハワイでの夜は、その開放感から毎日呑んだくれていたようです。

 

ハワイ滞在中のある夜のこと、その日はビールを飲み、ワインを飲み、焼酎をしこたま飲んで、いつも以上にベロベロに酔ってしまいます。

そしてそのとき、何故か吉田さんは人目もはばからず大号泣を始めてしまいました。

 

一度始まったこの大号泣はなかなか止められず、しばらくの時間続いたということで、付き添っていた夫にはただならぬ迷惑をかけたようです。

 

何せ大号泣は外出先の飲食店から始まり、ホテルに戻るまで続きますから。

しかも、鍵をなくすトラブルもあってすぐに部屋にも入れず、その間も吉田明世アナウンサーはホテルの廊下で大泣きし続けていたわけです。

 

他の客からは、まるで無理やり部屋に連れ込まれようとしている女性にも見えたかもしれませんねと吉田さんは言います。

 

部屋に戻ってからのことは話していませんが、その様子だと部屋でもずっと泣いていたかもしれません。

でも何故急に大号泣が始まってしまったのでしょう。

 

何故泣いていたかはわからないが、悲しかったということは覚えている

 

泣いた理由は何なんだ、と、カンニング竹山さんはしきりに追求します。

どうしてもそれが気になるようでした。

しかし吉田明世アナウンサーは「それがよくわからないんです」としか答えません。

 

ただ覚えているのは、と吉田さん。

「悲しかったということと、全てを解放した気分だった」ということでしした。

 

アルコールのせいで涙腺と脳みそが崩壊してしまい、普段のマイナス思考が爆発した感じで、とにかく何かを解放した感じの号泣だった。

と、吉田さんは言います。

 

しきりに解放という言葉を使っていたのが印象的でした。

 

ここで竹山さん、いいことを言います。

 

幸せが絶頂に達したんじゃない?

 

この3年くらい朝の番組を任され、ずっと働きづめ、そんな中結婚してバタバタとして、遊びにも行けない、気が散らないようについ見てしまうスマホアプリを削除もした。

仕事以外に家事もあるけど、それもきちんとやりこなした。

そこでのハワイ新婚旅行。

楽しい、気候もいい、景色もいい、あーよく頑張った私、幸せ、夫、ありがとう!

そんなこんな色々な感情が混ざり合って、ドカンと幸せの気持ちが爆発したんじゃない?

と竹山さんは言います。

 

「確かにそうかもしれませんねードカンと爆発した感じ」と吉田さんは言います。

 

が、そのあと、

 

「でも店からの帰り、車にひかれてやるー!と思ったのは覚えてるんですよねー」と吉田さんは言います。

 

「ふふふふふっ(笑) もうそれ病んでるよね」と竹山さんお手上げ状態。

 

「そう、楽しくて泣いたというより何か悲しかったんですよねー」と吉田さんは竹山説をあっさり覆します。

 

酒をあおり、最高に酔いが回り、何かがドカーンと爆発した感じで精神が解放され、何故か悲しくなり、大号泣が始まって、もう死んでやるー!と思ったようです。

 

でも泣いたあとはスッキリしちゃって現在は楽しく過ごし、張り切って仕事もしてるとのことです。

 

 

泣くと解放される乙女心

 

人間に泣くという機能があってよかったなとつくづく思いますよね。

蓄積された複雑に絡み合った感情を解放してくれるのですから。

原理はわかりません。

 

女子のみなさん、嫌なことがあれば吉田さんのように思いっきり泣きましょう。

何かのタガが外れるくらい大号泣してみましょう。

もう死んでやる!と思うかもしれませんが、それも一種の解放の儀式なのかもしれません。

 

男性は泣いて解放されるというようなことはあるのでしょうか?

どうでしょう。

竹山さんは終始その号泣の理由を知りたがってましたが。

 

 

男は理由を知りたがる

 

私は吉田さんの話を聞きながら、理由はどうあれ何かしら爽快感を感じました。

 

しきりに解放という言葉を使ってたこともあり、


溜め込まれたしがらみのようなものを、大号泣することでバッサバッサと切断していっている感じをイメージさせてもらいました。

 

そして悲しみの感情が優位になっていたことも面白く、抑えつけていたものが解放されている感じが伝わってきますし、好感が持てますよね。

こんな美人で成功している人にも原因不明の悲しみがあるんだなーと。

 

多分、怒りや、憎しみ、嫉妬の感情が出てくる人もいるのでしょう。

でも悲しみというのが何だか味わい深いなと思います。

 

ですが竹山さんは大号泣の意味や、泣き始めたきっかけとなる出来事はなかったのかということを、しきりに知りたがっていました。

まさに男脳と言ったところですが、男性には泣いてスッキリする感覚ってないのでしょうか。

どうなのでしょう。

 

でも泣いている男性を想像すると「野々村議員」思い出してしまいます^^;

 

 

シンプルに生きるために「なんで?」をやめてみる

なんであなたは無意味ことばかり言うの?

なんであなたはすぐ説明を諦めるの?

なんであなたはそんなしょうもないことにこだわっているの?

先に言ってくれたらやりようがあったのになんで早めに言わなかったの?

 

この「なんで?」にはあまり意味がないことに気がついたので、やめてみたら頭がスッキリして、物事の見通しがよくなったような気がします。

 

思考がシンプル化されたような気がしますし、それによって本当に重要なものを今までより楽にピックアップできるようになった気がします。

 

 

なんで?にひそむ2つの意味

 

なんで?には2つの意味があります。

 

上であげたなんでの活用は、相手に対しての問いかけになりますね。

「なんであなたはいつも同じ失敗ばかりするの?」みたいな感じです。

口には出さず、心の中で思っているだけでも同じです。

 

もう1つには自問自答なんで?があります。

『なんであの人はいつも同じ失敗ばかりするのだろう』みたいな感じで。

 

今回提案する、やめるべき「なんで?」は前者の方になります。

後者のなんではむしろ必要なもので、これを手放してしまうと思考が停止してしまいまう可能性があります。

なので注意が必要です。あくまで可能性ですが。 

 

よく考えてみると後者のなんでも必要ない、ということにもなるかもしれませんが、未検証なので今は必要なものとしておきますね。

 

シンプル思考を阻害する「なんで?」

シンプル思考が良いことなのかはさておき、としておきます。

頭がスッキリし、思考の見通しが良くなるという点において今回は良いこととして扱いますね。

 

この止めるべき「なんで?」は複雑な感情の表現になります。

怒りの感情を質問形式で表現し、相手に突きつけているのです。

この2つの要素に同時に対処するのは至難の技です。 

 

さらにこの問いかけには実は答えはありません。

答えのない質問に怒りや失意の念を融合させているストレス性の高い奇妙な生成物になります。

毒性が強く、人を蝕む類の意識です。

 

言われた方は思考停止するか、言った方の機嫌を損ねないような言い訳を考えなければなりません。

あるいは反論することもあるでしょう。

頭の良い人なら、合気道のようにかわして、逆にあなたをねじ伏せるかもしれません。

 

「なんであなたは言うことが聞けないの?」

 「それは君がいつも矛盾していることを言ってるからだよ」

 

言われた方の出方次第では喧嘩にもなりますね。

逆ギレなどされたりもします。

 

「なんであなたは言うことが聞けないの?」

「そんなの知るかよ!うざいなー

 

「なんで?」の先に未来はない

議論に見えて結局は感情優位の自己表現でしかありません。

その先に見えるのは良い未来ではありません。

奇妙な生成物が黒い雲のようにどんよりと漂うだけです。

 

ならば最初から切り捨ててしまおうというものです。

 

「なんでお前は毎回遅刻してくんだよ!あん!」

を捨てまして、

「こいつは毎回遅刻するやつなんだよな〜そういうやつなんだよな〜」に思考をシフトするのです。

 

するとすぐに次の対策が立てられます。

「君、なんで自分が遅刻してしまうのか考えてきたまえ」と当人に自問自答を促すことも言えますし、

『なんで彼は遅刻がやめられないのだろう』と自問自答することもできます。

(もう1つの自問自答のなんで

 

あるいは対策の必要のないものはそのままほおっておくこともできます。

「なんであなたはいつも同じことを話すの?」疲れるんだけど。

から

 『この人はいつも同じことを話すんだよな〜まあいいっか』

 

問いかけの「なんで?」をやめて、自問自答の「なんで?」に変える

良い未来のない問いかけの「なんで?」を自問自答の「なんで?」に変えてみると、無駄な労力を回避し、建設性のあるロジカルシンキングができますね。

 

人が遅刻してしまう原理を学ぶことができ、次の事例に生かすこともできます。

 

シンプルさは気持ち良い

問いかけの「なんで?」を止めるだけで、結構な脳内スペースを確保することができます。

とにかく鼻から問いかけの「なんで?」を手放すのです。

そう決めてしまうのです。

「あーキタキタ!やめよう!」ってな感じで。

 

もちろん感情が関わることですから、何が何でもということにはなりません。

怒った方が精神衛生的にいい場合もあります。

そのときは怒りましょう。

 

ですが、ある1つの事案で「なんで放棄」を実行できたとき、自分がその事案に関して、無意味な部分にこだわっていたことをまざまざと感じることができます。

自分の無意識の執念のようなものに気がつきます。

 

相手に対しての「どうしてよ!なんでよ?」の念は、自分の中のエゴだったりします。

 

これに気がつくと何か重荷が取れたような感じがします。

気がつくだけで良く、取り除く必要は必ずしもありません。

そしてその気づきは何かから解放されたようで、気持ち良いものだったりします。

 

 

 この記事にも少し似たようなこと書いてますd(^^*)

monomion.hateblo.jp

 

人格形成のミステリー、なぜ人は変わるべきなのか

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人は生まれながらに一つの人格を持ち合わせているのでしょうか、

あるいは育つ過程のおいて人格を獲得していくのでしょうか。

 

育つ過程が、どのような人格が作られるかに大きく影響しているだろうことはわかります。

でも今回疑問に思ったことは、人は生まれながらにして人格を持っているかどうかです。

 

人って与えられた命を概ね大切にしながら生きてるなと感じます。

特に好んで生まれてきたわけではないけど、良い人生を送れるように頑張ります。

 

そこでふと思ったのが、一つの人格を獲得し、それを持って生きていくことに必然性はあるのかどうか、ということです。

よく考えれば人格を持つことを強制されてはいないのです。

 

 

生まれ持った気質のようなものはある

人はきっと全く同じ環境で育っても、個体によって性格は変わってくると思います。

ずっと同じ刺激を受け続けてもそれに対する反応や考え方も違ってくるでしょう。

 

それは、人それぞれによって外からの刺激の受け取り方が、心の深い部分では生まれた段階から違ってくるからだろうと思います。

刺激を受け取り、処理し、何かしらの身体的な反応として出力(性格)されます。

 

身体的な能力によっても受け取り方が違ってくると思いますし、体の中に住んでいる微生物の種類や量によっても変わってくるかもしれません。

ブラックボックスのようなものですね。

 

このブラックボックスを人それぞれの気質と称し、そしてそれは生まれながらのものでしょう。

 

うるさい子もいれば、おとなしい子もいます。

泣き虫な子もいれば、打たれ強い子もいます。

優しい子もいれば、あまり人に無頓着な子もいます。

 

これらは気質によって現れてくる違いではないかと感じます。

外部からの情報を体が受け取り、その情報を身体がどのように処理するかによって変わってきます。

 

人格とは何か

私がここで定義する人格は「自分で自分を意識できる感覚」としたいと思います。

「あ、ワタシ今歩いてる!」と思えればそれは人格を持っています。

初めて自分を自覚した時、そこから人格のある人生がスタートします。 

 

自分のことがよくわかっていないでだろう乳幼児に対して人格という言葉は使えないですからね。

 

この、自分で自分を意識できる感覚は、先天的に備わっているものなのか、あるいは後天的なものなのかが今回私が気になったところです。

 

自分で自分を意識した瞬間、様々なしがらみが心身に付属してきます。

あらねばならぬ自分がスタートします。

 

もし、ある人が生きづらいしがらみを抱えてしまうなら、その人格を手放すのもありじゃないかとふと思いました。

自然発生的に始まったことなら、誰の許可なく終わってもいいわけですよね。

 

自作自演をやめるのです!

 

後天的なものだとしたらそれは可能かもしれません。

きちんと生きること、を放棄するのです。

でも人格を手放すなんてイメージができませんよね。

しかしそれは原理的には可能かもしれません。

 

今の社会においては多分そのような人は、頭がおかしくなった扱いになってしまって、この人は人格を捨てることを選んだんだな、とはなりませんから。

まず観念や、概念的なものが存在していません。

 

捨人格者ホームみたいな施設ができれば、もしかすると普通に人格を捨てる人が出てくるかもしれません。

これは後天的な場合の話。

 

しかし人格の始まりが先天的なもので、遺伝子にプログラムされたことなら、手放すことはできませんね。

 生まれたからにはとにかく自分を生きなければなりません。

 

人格を捨てられないなら

どちらにしろ人格を捨てることは今の世の中、死ぬ以外現実的ではなさそうですよね。

それならば、人格を変化させてしまうというのはどうでしょう。

(気に入らない人格だとしたらの話です)

 

正確に言えば人格の上に存在する、確実に後から形成されたものを変化さるということです。

先ほど述べたように、人は自分で自分を意識した瞬間(人格のスタート)、様々なしがらみを抱え始めます。

 

自分がこの世に始まった(変えられない)ポイントを意識し、その上に何が積み重なっているのかを考えてみてはどうでしょう。

自分はどのように生きていくのが良いのだろうと。 

 

一人前にならなくてもいい?

急な話展開ですが、この人が一人前になろうとする意識も不思議なものだなと感じます。

 

自分を意識し、自分がスタートすることになると、人は今度は一人前になることを目指すという主要テーマがどこから与えられます。

 

このテーマはどこから付与されるのか、もともと備わっているのか、それとも親が与えていくものなのか。

どんな一人前になるか!というのは環境(親)によって決まると思いますが、

始まりは先天的なものか、後天的なものか、、。

 

それはさておき、

人格の上に乗ったしがらみに多大な影響を及ぼすのがこの一人前を目指す在り方です。

 

これを取り除いたら人はどうなるのか!

社会的には生きていけなさそうですが、精神的にはどのような状態になるのか、、

想像はできません。

 

動物で考えると、成人欲求子孫繁栄のもののように感じますね。

メスを獲得し、後尾を成功させるにはきちんとした成人ならなければならないし、育てないといけないタイプの動物なら子供の分の獲物を獲得できなければなりません。

 

人間はどうでしょう。子を産まないという選択肢もありますね。

すると人間にとって一人前になるとはどのようなものになるのでしょう。

 

 

なぜかワタシが始まり、なぜかワタシは一人前を目指している

 

なぜかわかなないけど、どこかの地点から自分が始まり、そのことでなぜか自分は一人前を目指すことになっている。

 

始まりを意識した時、終わりを意識するということなのでしょうか。

 

これをベースにして無意識のうちに色々なものを積み重ねてきたけど、これらは本当に必要なものなのかどうなのか。

 

ベースまで立ち戻って想像してみるのも面白いのではないでしょうか。

 

まとめ 

思いつきで書き始め、なかなか着地点を見つけることができなかったテーマですが、誰かがこれを読んで、何か考えるきっかけになればいいなと思う所存でございます。

 

 

モノミオン 

 

 

「わかっちゃいるけどやめられない」の本当の意味 〜肉体に繋がれたサガ〜

 

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「もう2度と同じ轍は踏まないぞ」と心に誓うこと約100万回!

それでもしょこりもなくまた同じことをしてしまう。

 

その度に成長しない自分に絶望してしまう。

皆さんはどうでしょう。

変わろうとする意識はいいことなのかもしれませんが、、

 

スーダラ節の 「わかっちゃいるけどやめられない♬」と言うおちゃらけた感じのフレーズがありますが、

なんかうまくいったものだなーと感じます。

 

でも実はこれ、的を得すぎて少し怖い文言でした。

 

どうしてもやめられないこと

どうしてもやめられないことにはどのようなものがあるでしょう。

  • 酒、タバコ
  • パチンコ、パチスロ(ギャンブル)
  • 爪を噛む(癖)
  • ゲーム
  • 買い物
  • 非ダイエット行為(暴飲暴食)
  • 怒り(解決したはずなのにどうしても許せない)
  • 妄想
  • 浮気
  • リストカット
  • 自慰行為
  • 危険運転
  • 暴力
  • 借金
  • ets

 

今すぐにやめなければならないものから、ほっとけってのもあるのかな。

でも人それぞれ、どれをとっても死活問題になり得る、ということも言えるでしょうか。

 

依存症から、反射反応慰め行為、など、私たちはいろいろとあまりよろしくないことを抱えて生きてますね。

 

わかっているのにどうしてやめられないのか

 

「わかってはいる、でもどうしてもやめられない・・・・もーーー諦めた!」

これが「わかっちゃいるけどやめられない♪」というフレーズ(リズムつき)になりますね。

もーーー諦めた!がスーダラ節のキモです。

 

でも今回は「もう諦めた!」にたどり着けない場合について考えていきます。

 

わかっていはいる!でもやめられない!なんでよ!?

 

では答え!

 

わかっているのは頭(精神)どうしてもやめられないのはだからです。

 

この二者がうまく連動していないのです。

 

なぜ、頭と体はうまく連動してくれないのか

 

ではなぜ、頭と体(心と肉体)はうまく連動してくれないのでしょうか。

  

やってしまったあと深く後悔し、もう2度とそんなことはしないぞと強く誓う

例えば

お酒を飲みすぎてしまったとき。

二日酔いがすごい、肝臓を壊した、震えが止まらない、などの状態に襲われたとき

「こんな思いをするくらいならもう2度と飲み過ぎないようにするぞ。うん、できる!だってこんな辛いんだ、死ぬほぞ辛いこれに比べればお酒をセーブするくらい楽なもんだろう」

 

嫌なことを言われて(されて)思わず激怒してしまったとき。

いつも同じことで怒ってしまってることはわかっていて、その都度気にしないようにしようと心に決めます。

  • 子供がいつも同じミスをする。
  • 自分の親が口癖で「あんたは要領悪いね」とよく言う。

どちらも怒ってはいけないとわかるところまで毎回自分を納得させています。

 

子供に関しては、冷静になったとき、自分の器が小さかったことに気がつくし、

親に関しては「それを言わないで」と何回も注意したのにも関わらず言うことをやめない、これ以上言っても仕方のないことだと、気にしないことを決意しました。

にも関わらず同じ状態になったときどちらもまた怒ってしまう。

 

パチンコで大負けしたとき。

儲けよりもこれまでつぎ込んでる額の方が圧倒的に多いじゃないか!

そのお金があれば、あれも買えたし、あそこにも行けた、美味しいものも食べられる。

今日だってパチンコやらなければ余裕で叙々苑行けたのに!

もうやめよう!

そしたらもっと楽しい生活が送るじゃないか。

と決意する。

しかし、次の給料日には行きたくてしょうがなくなり、行ってしまう。

 

ではなぜ思い通りにならないのか。

頭で考えているときは肉体を切り離している

上記であげた例を見てみると、全ては終わって冷静になったときにあれこれと考えていることになります。 

酒を飲み終わった状態、怒りが収まって冷静になった状態、大金を失った状態。

 

そのときの自分は、いわば、辞めたいと思っていることを行う直前の自分とは別の人間であるとも言えるでしょう。

架空の人物として、架空の人物に誓いを立てている状態になります。

臨場感がありません。

 

さらに(ここが言いたい)

肉体は勝手に反応する

肉体反応は意識を凌駕します。

強い意志も肉体の自動的な反応を前には手も足も出ません。

それはなぜか。

それは地球上に物理的に存在する状態を前提に我々の今の精神があるからです。

 

肉体に縛られた人間のサガ

 

地球上で物理的に存続するためには、どうしても肉体反応に従わなければならないときが多々あります。

極端な話ですが、呼吸を止めろと頭で命令しても体の呼吸への欲求を止めることはできません。

 

いたずらで驚かされ、それに激怒してしまうのも、体が勝手に示す危険信号に対する(2次的な)反応になります。

ただのいたずらじゃないか許してやれよと心で思っても、うまくはいかない人もいるでしょう。

その危険に対する反射がなければ、例えば車にひかれますからね。

そのとき沸騰したエネルギーが、次の危険の抑止のために起こる怒りに変換されているわけですから。

 

ギャンブル飲酒も、体がそのとき出す快楽を、生きる上で重要なものとして捉えてしまっている可能性がありますし、

実は本当に必要だったりするのかもしれません。

地球という物質空間で存続するために(今は)体としては必要なことだったりするかもしれません。

 

頭(思考)は地球を離れることはできますが、体はできません。

 

わかっちゃいるけどやめられない!

まさにその通りなのですね。

 

やめられないことは受け入れてもいい

 

とりあえずやめられない自分を受け入れ、そのあとにじゃあどうするべきかを考えてもいいと思います。

 

その場に立ったとき、なんでやめられないんだ、あれだけ自分を納得させたじゃないか。

なぜまた同じ衝動(怒り、飲みたい、ギャンブルしたい)が込み上げてくるんだ、ではなく。

もうこの衝動(怒り、飲みたい、ギャンブルしたい)はしょうがない、今はこの衝動をどう沈めるかを考えよう、としてもいいのです。

 

人間も所詮動物的な思考構造を持ち合わせているのです。

 

まとめ、依存症対策ではない

今回の主張は、どうすれば依存症などを辞められるかといった話ではありません。

なぜ考えたことを実行できないのかという話でした。

 

依存症などの対策はまた別の問題になります。

カウンセリング、心療内科受診、自己隔離、などなど。

やめるぞ!と思う時点でのより強い強制力をどう構築するかですね。

 

わかっちゃいるけどやめられない自分を責める必要はないかもしれないということでした!

 

 

 

 

 

 

 

あんた、やりもしないでよく言うわね!こっちは試行錯誤を繰り返しているのよ

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あたしゃー夜も寝ずに、いろいろ調べたり苦労してやってんだよ!

なに涼しい顔してぬかしやがる!自分は一切やりもしないで!

なんてことあります?^^;


「そのA案本当にうまくいくの?

ウチはもう一つのB案の方がうまくいくと思うんだけど〜」

  

 

クリエイティブな仕事をしているミオ子のお話し。



あるプロジェクトの作案A策案B作案C の中からミオ子は 作案A推し進めていくことに決めました。

A案を進めていこうと思ったのはもちろん理由があって、世のトレンドも満たしているし、何より自分に向いている種類の仕事で、自身の技量からすれば、A案にはより付加価値をつけられると思ったのです。

トレンドについては入念な調査を行った結果であり、じっくり検討した結果これでいけるとミオ子はふんだわけです。

ですが自信があるわけではなく、このプロジェクトは新しい試みであって、やってみなければわからない仕事でした。

 

そんな中、同僚のヨシ子は言います。

「B案の方が売れると思うけどなー」と。

「Bの方が、マーケットは大きいと思うし、即効性も期待できる、シンプルなところも今の人には受けがいいと思うし、量産性も高いと思うな」

とさらっと言います。
まるでウチワを仰ぎながら喋るように。

このプロジェクトに関わらないヨシ子は直感的に言ってるだけでした。

 

ミオ子

「そうかなぁ、ん〜、それもありかもしれないね〜」

 

試行錯誤のジレンマ

 

ミオ子は心の中でこう思います。

『感覚だけで言いやがって、こっちは全てを考慮した上でその選択をしているんだよ』

 

でも言いませんでした。

 

なぜ言わなかったのか。

一つに、ヨシ子が感覚、あるいは直感で言っていことがわかっていたからです。

ヨシ子が、このプロジェクトに関わることはないし、本気で市場調査は行わないし、本気で制作可能性を検討することもありません。

それだけに、ヨシ子が間違っていると言うことを検証しようもありません。

 

ミオ子にもこの直感のようなものがよくわかります。

これは絶対行けるぞ!と、何かの最中ふと思うことがあります。

しかし実際にそれを行う段になると、具体的な要素を加味していくうちにやっぱり難しそうだとなることは少なくなくありません。

 

直感しているときは、それでも漠然としているのではなくある種の強烈なイメージによって明確なゴールのようなものが見えているのにもかかわらずです。

 

大抵はイメージ倒れですが、中にはやってうまくいくこともあるし、結局はそこからしか本当の新しいものは生まれません。

 

そのような経験からミオ子はヨシ子に反論できなかったのです。

「こっちはきちんと調べてやってるのよ」と言う発言は子供じみた一種の言い訳のように感じたのです。

 

B案 がダメな理由もきちんとミオ子にはありましたが、それはあくまで自分から見た世界でのことでしたから。

 

 

直感に具体性を足し合わせると気持ちが萎える

 

ミオ子には実はもう一つの案、作案Dも検討していました。

寝起きにふとそれが成功しそうなイメージが頭に思い浮かんだのです。

 

早速やれそうかどうかを検討するために、具体性のある調査や、実際に一部だけ制作を行ってみました。

ですが、調査や創作をしていくうちに、気持ちがだんだんと萎えていきます。

最初に感じたイメージやそれに付属していたワクワクとした気持ちがすっかりなくなっていて、ゴールのイメージ感覚もかなりぼやけていました。

 

ミオ子は思います。

『最初のあの感覚を維持できる人がDに関わるクリエイトに関して成功するのだろうな』と。

『もし、結局成功のためには難しい案件だったとしても、維持ができれば何が何でもやり遂げるのだろうな』と。

 

そして、D案に取り掛からなければミオ子は、あるいは一生、D案はやれば成功するはずの案件として思い続けるのかもしれないなと思いました。

 

それがヨシ子から見たB案になります。

 

人の心に潜むホメオスタシス

 

萎えるというのは心のホメオスタシスではないかと思います。

 

あるとき、一瞬、自分のキャパシティを超えたイメージが降臨することがあります。

あるいは、超えてはいなくても、あまり馴染みのないイメージだったりします。

 

最初はワクワクの感情がエネルギーとなってスタートしますが、そのうちそれに対する自分のそぐわなさが出てきます。

「あーこんなことするキャラじゃないな〜あたし、いまいち乗りきれない」みたいな感じで。

 

  • ホメオスタシス
    恒常性維持機能(人が生きる上で経験上ベストであるとされる身体的状態を維持しようとする体の自動機能、自動調整機能)
    この機能を心理学的に用いれば快適な心の状態を維持しようと務める内的な動きということになります。
    例えば、笑顔の人を見たとき安心するのは、安全な場所にいることを意識せず自動で認識できるからで、その快適な場所にできるだけ留まろうとします。

 

やりもしないから言えること

 

良きイメージを持続できないから成功しないものの、持続していれば成功するのかもしれません。

 

やりもしないからこそ言えることはあり、もしかするとその先にお宝が眠っているかもしれません。

 

「やりもしないくせによく言ってくれるわね」と思うことは、生きていればあるかもしれません。

その気持ちは、当然の想いとして否定することはないと思います。

 

しかし、その感情だけで、その鉱脈をミスミス見過ごしてしまうのも勿体無いです。

 

たとえ相手が口先だけだとしても、もしそこを掘って当てて「ほらね」とか言われむかつこうが、一度検討してみてるのもいいのではないでしょうか。

 

 そういう唐突なお話でした!

 

なぜ親に感謝しないといけない? 意外な意見多数

 

アラサーになって考える頭も少々ついてきた今日この頃。

ふとこの言葉が頭をよぎり、少し違和感を感じました。

人は誰しも親には感謝すべき?

 

なぜそれが頭をよぎったのだろうか?

マチ子物語に関わっていたからかもしれないし、テレビやラジオから聞こえてきたからかもしれない。

でもきっかけはいつものごとく唐突に訪れ、知らぬうちに消えてしまいますので、忘れないうちに。

 

生きているとよく親には感謝しないとダメだよ!なんてことを言われたりしますが、本当にそうなのだろうかと思ったわけです。

 

生まれてきたことに感謝! する?

親に感謝すべきかどうについて考えていると、根底にはこの考え方があることに気がつきました。

「生まれてきたことに感謝しましょう」

小さい頃や、学生時代によく耳にした記憶があります。

 

「生まれてきたから楽しいことも経験できるし、幸せも味わえるんだよ」

「生まれてこなければ、今いる友達にも、家族にも、親戚にも会えなかったんだよ」

「〜兆分の1の奇跡!もしかしたらあなたはこの世にいなかったかもしれないんだ」

「生きてるだけで丸儲け」(明石家さんま

これらのことをいう人が今までの人生、少ない数いたように思います。

 

でもまあ、その流れを受けると、産んで育ててくれた親には感謝しようという理屈はわかりますね。

 

「そうかぁ、生まれたからこそいろいろなこと経験できるもんね、生まれてこなければ今までの全て無しになるかぁ、それは嫌だなぁ」

などと素直に受け入れた記憶が私にもあります。

 

思考が停止してしまっていたのでしょうね。過去の自分。

 

生まれたことに感謝!本当にそう?

この「生まれたことに感謝」を受け入れ、実行するには前提条件が必要になってくると思います。

 

それは、「生きていて楽しいと思えている(楽しいこともある)」ことです。

これが前提になく、生まれてきたことに感謝できるほど、一般人は達観してはいないですよね。

 

「生まれたことに感謝」は、生きることに張り合いを感じない人にとってはハードルの高い行為です。

 

目次の下から続きが始まります。
でも気になったとこから見ていいよ。

モノミオンの考察は後半(以下)になります。

 

 

親に感謝すべきかどうかについて

これについてはネット上でいろいろと意見がありましたのでまとめてみます。

 

「親に対してなぜ感謝しないといけないのでしょう?」というような素朴な質問に対しての反応です。

  

「感謝するべき派」の意見

 

  • 親に感謝できないなんて薄情者だ。 

  • 親に感謝するという事は今の自分を受け入れ、自分の生き方を肯定できます。
    そこには希望と喜びが生まれます。
    そして親子の関係は全ての人間関係の基礎となるものです。

  • 感謝するということに対して理由を求めるものではない、自分の気持ちである。

  • 自分の親であり、家族なのだから、普通に生活していれば、そのような質問疑問は湧かなものだ。

  • 親に産んでもらってなければ、あなたは存在しないしませんよ。

  • 生活費の分ぐらいは感謝しておく必要あり。

  • 同じ遺伝子を持つ人間を否定することは、自分をも否定することになります。
  • 親に感謝できなければ、他のどんな人にも感謝できない。親が一番の恩人なんだから。

  • 生きていてよかったと思えれば、自然と感謝の気持ちは湧いてきます。

  • このような質問をする人は自分に満足いってないのでしょう。

  • そのような質問、愚か以外の何者でもない。

  • 親がいること(生きている)がどれだけありがたいことだろうか。死んで気がつく前に親孝行しておくべきです。

  • 辛いこともたくさんあるが、その分幸せなこともある。生まれてなかったら全て経験できなかった。産んでくれた親に素直に感謝。

  • きみ何様のつもり?

  • 生まれてきた赤ん坊は一人では何もできず、すぐに死んでしまう。今生きているということは、親が必死に育てた証ですよ。

  • 自分に子供ができたら自然に親への感謝の気持ちが生まれる。

  • そのような疑問を抱けること自体、自分が恵まれていることを自覚すべき。

  • 社会に出れば親のありがたみがわかってくる。(質問者が大学生っぽいと判断) 

  • 生まれたことに感謝されたいのなら、親が死ぬまで親の言いなりになり、親の全ての期待に答えるべき。(他の人の回答の影響を受けている。下記)

 

 

「感謝は必要ない派」の意見

 

  • 感謝は自然に湧き上がってくる感情なので、無理に理由を作って行う行為ではない。

  • 世の中の大人を見ていると、子供のような大人はたくさんいます。
    浅はかな大人はたくさんいます。感謝されるべき、大人(親)ばかりではない。

  • 産んで欲しいと言ったわけでない、親の方が欲しくて産んだわけだから、逆に生まれてきた方(子供)への感謝が優先されるべきだと思います。

  • 感謝しなければならないという風潮が、子供の苦しみを生み出している。
    親の否定 イコール 自己の否定ではない。

  • 親に感謝できないのは親の性格が悪いからだ。

  • なぜ感謝しなければいけないのかと疑問に思うことは正当あって、間違ったことではないです。ただ、親に言ってはいけない。親も人間、傷つきます。

  • 私の親は「子を育てることは当然のことだ」と言って、感謝されることを全く期待していません。
    むしろ、親に感謝するエネルギーがあったら何か自分のために使えというスタンスです。

  • 自分の気持ちを第一に考えることも重要。湧き上がってこない感謝の気持ちを無理に作りだすことで、自分を傷つけることがあるとすれば、それはいいことではない。

  • 育てたことに感謝しろという親がいるのなら、そんな親に育てられる子供はかわいそう。

  • きちんと愛情を注げば、子供は自然と親を敬うでしょう。
    親の満足のために育てられた子供は、感謝したくてもできないでしょう。

  • 感謝できない親を反面教師として学ばせてもらった。
    そのことには感謝することもできる。無条件に感謝できない人は当然いるでしょう。

 

親目線の意見

親目線「必ずしも感謝は必要ない派」の意見
  • 子供に対して「育てさせてくれてありがとう」と思っています。

  • 真に親に感謝してくれるのは、子供が親になったときではないでしょうか。

  • 親になって思うことは、子供に感謝されなくてもとくに構わないということです。
    それが私(親)が子供を愛することに影響することはないと思います。

  • もしも子供に、「頼んでないのになんで産んだんだよ」と産んだことを非難されるようなことがあるなら、自分の愛情が足りなかったのだと思い、もっと愛を注ごうと思います。

 

 親目線「感謝すべき派」の意見
  • 私は自分の子供にそのようなことを言われたくはないですね。

  • 親は自分のことはさておき、子供のことを一番に考えるものです。
    子は親を選べないと同様、親も子を選べません。それでも頑張って育てます。
    もし「頼んでもないのになんで産んだんだよ」なんて言われたら悲しくて仕方ありません。
    言っていいことと悪いことがあることを理解して欲しい。

  • 親は絶対に子供に対して「生まれてきてありがとう」と思っているはずです。
    親が厳しく躾けたりするのは子供が将来苦労しないためです。

  • そんな疑問を抱くなら親と少し話した方がいいと思います。

  • あなたのその意見、誰のもの?テレビの影響?子育てについて何も知らないんですね。私は小さな子供がいますが可愛くて仕方ありません。宝物です。
    もし大きくなった我が子に「頼んでもないのになんで産んだんだよ」などと言われたらと考えるととても悲しい気持ちになります。泣けてきます。

  • 金を使って育ててやっているんだ。頭の悪い奴がそんな風なことをよく言うんだよな。親と対等だと思うなよ。

 

微妙派

  • 親とはもう何年もあっていません。暴言の多い親なので会いたいとは思いません。
    ただ、親は私に捨てられたことで、寂しく細々と暮らしているのかなと思うと胸が痛むときがあります。

 

気持ちが変化したパターン 

  • 私は昔「親に感謝などとんでもない」と思っていましたが、40代になった今では感謝の気持ちが強く出てくるようになりました。
    親思いの夫の進めを受けて、よく自分の両親に顔を見せたり、電話をしたりしていました。
    初めはいやいやながらやっていたことですが、次第に苦痛ではなくなり、今ではそれが楽しみになっています。
    両親に対してはあまり良い思い出はなく、むしろ辛い目に合わされた印象が強く残っていましたが、今はそのことで両親を憎む気持ちがなくなっています。


    感覚としては意固地な自分を捨てたような感じですかね。
    親も歳をとって丸くなったのかもしれません。夫に強制的されなければ、このようにちょっとしたきっかけを積み重ねることもできなかったでしょう。
    あるいは夫が私の知らないところで私の親に何かを吹き込み操作しているのか。まあそれはそれでいいですけど。

 

  • 私も、親に感謝することができない人間の一人でした。私は虐待され育ってきましたので家族で過ごした楽しい思い出などありません。「なぜ感謝しないといけないのか?」そう考えてしまうことはよくわかります。
    自分が子供を産んでみてわかるのですが、子供が生まれてきた喜びや感謝は今まで感じたことのあるそれとはくれべものにならない、もしかするとその10000倍はあるんじゃないかと思うほどすごいものです。

    かと言って親に感謝できるかどうかというと、少し違う気持ちのような気はしますが、少なくとも親もそのように思っていたのかもしれないと考えたとき、許せるような気もします。

 

  • 私は親に親であることの期待をやめました。
    すると不思議と今までお金をかけて育ててきてもらったことに感謝できるようになりました。子供を育てるって大変ですもんね。

    育てるのは当たり前ですが、大変なことには変わりない。
    その賞賛できる部分だけを取り出し、感謝と言う感情に結びつけることができるようになりました。
    でもそんなふうな考え方が簡単にできるわけではないようなので、気をつけて。


    タダメシを食わせてもらったんだ、ありがたく思おうぜ。
    このような感覚になるには特定の条件が必要だと思います。
    その条件を自分で獲得した人もいれば、そもそも親からそれを与えられている場合もあります。後者の方がほとんどでしょうが。

    自分がこの条件に入っているかいないのか、「感謝しろ」と言う人はそれを見極めて意見しなければならないと思います。

 

monomion'意見


ここでは親を許すといことがキーワードになっているようですね。 

 

女性に関しては子供を産んで変わりましたというパターンが多く見られました。

女性にとって出産とは大きな意識の変わり目なのかもしれません。

命を繋ぐことに、遺伝子レベルで喜びが発動する仕組みになっているのかもしれません。

 

例外、おもしろ意見

楽観派

そんなに難しく考えるなよ、俺も親になんて全然感謝してない。

やんちゃしたり、万引きしたり、迷惑はかけっぱなしなのに、よく見捨てないもんだなと思ったりする。

でももっと時間がたてば俺も親に感謝する時がくるんじゃないかなと感じてる。

感謝しないといけないとかじゃなく、いずれ自然にしたくなるんじゃないかな。

その時を待て。

 

サイコパス

あなたは望まれない子供だったのです。

あるいはもっと優秀な子供が欲しかったなと親に思われているかもしれません。

あなたがいなければもっと楽しい人生をおくれたのにと思ってるかもしれません。

そんな親があなたのために衣食住の面倒をみてやってるのだから感謝した方がいいですね。

 

ズッコケ

あなたは、理由なく親に暴力を振るわれたことがあるのでしょうか。

生まれて来なければよかったのにと言われたことがあるでしょうか。

きっとないですね。(質問者がちゃんと教育を受けさせてもらっていると判断)

それを言われたことのある人のことを考えてください。

虐待を受けたことのない、幸せに生きてる人間にそのようなことを言われるのは不愉快ですね。 

ちなみに、私は虐待を受けていません。

私の同級生が親からこのような虐待を受けていました。

 

お前じゃないんかい!(モノミオン的ツッコミ)

この場合、虐待された友達に意見を聞いてみるのが妥当ですね。

 

 

★ 親に感謝する、感謝しない問題は想像力を刺激する

 

いろいろな人たちの意見を読んでみてモノミオン的に思うことがありました。

親に感謝すべきだと考える人たちのことを感謝すべき派とし、

必ずしも親に感謝する必要はないと考える人たちのことを感謝しない派として書いていきます。

 

この両者にはそれぞれ特徴があることがわかりました。

両者は違った前提から意見の構築が始まっているように感じます。

 

感謝すべき派:この世に存在していることが善であることから考えが始まる。

この世に生まれた、それはとにかく素晴らしいことなんだという考え方が前提にあっての意見になります。

 

感謝しない派:人がこの世に生まれてくる意味を意識するところから考えが始まります。

わかりやすく言うなら、例えばですが。

生まれてくることが本当に良いことなのだろうか、生まれなければ別の世界でもっと幸せに過ごせたのかもしれない。

それにも関わらずこの世に生まれてきたんだよね。

さて、すると産んだ人に対しての感謝というのは、すべきだろうか?どうだろう。

 

「感謝しない派」の前提の方が深いことがわかる。

生まれる前、あるいは生まれる瞬間にまで前提を遡れる感謝しない派の人の方が深く想像しているように感じます。

 

私は、この前提(人が生まれてくる意味を意識する)からから始まる考え方で、

「感謝すべき派」の意見を探してみましたが、残念ながら一つも見つけられまんでした。

 

禅の世界へ入っていきそうな匂いはしますどね。

 

もしその意見があるとすればこうでしょうか、

「人がこの世に生まれてくるのは何が何でも尊いことで、これに勝る在り方は存在しない。だから何があろうと、とにかく産んでくれた親には感謝すべきである」

という感じになるでしょうか。 

 

感謝という言葉(概念)が生まれた経緯を想像してみよう

カンシャ(appreciation)できた経緯を想像してみます。

なんだろうこの気持ち。

何かモヤモヤそわそわする。

この気持ちあの人に届けたい。

お礼とともに。

会って共有したい。

でも少し照れ臭い。

 

神様、この届けたい気持ちはなんでしょう。

 

そうだなぁ「感謝」と名付けてはどうかな。

現象には名前があった方がいいじゃろ。

 

感謝にはもう一つの考え方がある

感謝とは自発的なものであり、その先に見えるのは相互作用です。

感謝する側と、される側があり、それが共有性をもつものです。

良い感情の動きとして感謝という概念は存在します。

 

これを受け、二次的に生まれた感謝の考え方があります。

感謝の気持ちがなくても、意識的に感謝してしまおうというものです。

 

感謝という形をとることで心の浄化を期待するというものです。

一種の自己催眠、自己洗脳のようなものでしょうか。

自発的に沸き起こる良い感情の動きを、強制的に作りだそうというものです。

 

「嬉しいことがあって笑顔になるんじゃない、笑顔でいるから嬉しくなれるんだ」の理論のようなものですかね。(実際にこのような理論があります)

 

この二次的な考え方が一人歩きして「親には感謝すべき」だという考え方に影響を与えているのではないでしょうか。

しかしそれは、紹介したコメントにもあったように、簡単な作業ではなさそうです。

 

 

親子関係は相互作用の最たるもの。

血の繋がりというのは強固な相互性をもちます。

親子関係はそもそも感謝に似た感覚で繋がれているのではないでしょうか。

その繋がりは感謝に似た、もしかするとまだ言葉になっていない相互影響を表す概念が存在するかもしれません。

神様はその現象にはまだ名前はつけていないようです。

 

子にとって親は故郷であり、自分の存在のルーツとなります。

自分とは何者かを考えるとき、親の存在は大きなものであり、そこに穏やかさがあれば健全な心で生きていくことができるのでしょう。

親はそれを提供できる唯一の存在です。

 

子は親に感謝することで相互関係を強め、帰るべき故郷をしっかり確保しておくことができるように思います。

ですから本来できることなら感謝をしたいのです。

子供は基本、親に感謝するように造られているはずです。

普通に接していれば特別何かをしてあげなくても感謝するでしょう。

 

その子供の(習性)気持ちを悪用する親がいることが悲しいですが。 

子供のペット化、私物化、虐待など。

 

子供が生まれる理由 

子供が生まれる理由、

それはが子供を産もうと決断することから始まります。

 

親が子供を作るときに「未来の子供が産んでくれと頼んでる、だから産まなきゃ」って人はほとんどいないでしょう。

 

たいていの親は子供を産み出す最、最初こう思っているはずです。

・子供がいると楽しいだろうな、幸せだろうな。

・生きがいが欲しいな。

・愛する配偶者との間の子供が欲しいな。

・自分の子孫を残したい。

・できちゃったから仕方ないな。

・動物の本能に従って(特に何も考えない)。

 

ほぼ100パーセントの確率で、自分(親)がどうなりたいかという意識のもとで子供を作ります。

 

それを考えると、無条件に親に感謝せよというのはいささか傲慢すぎる気がしますね。

「生まれてきてありがとうと思う」「育てせてくれてありがとうと思う」という親側の意見がありましたが、かなり妥当性のある意見だと思います。

 

怒りのフラグが立つ人

「なぜ親に感謝しないといけないの?」

この手の質問において気をつけなければならないなと感じるのは、反射的に怒りの感情が出てくる人がいるということですね。

そんなことを考える奴は歪んだ心の持ち主に違いない!と思い込んでしまって排除しようと働く人がいるのです。

迂闊に口に出すことがはばかられます。

 

そこでちょっと面白いなと思ったことが、

「こんな質問する奴はクズだ、親の育て方が相当まずかったんだね。かわいそうに」みたいな感じで、非難、罵倒している人が結構いました。

 

一度怒りを感じてしまったら、相手にとにかく悪者であることを突きつけたいがあまり、このような矛盾したことを言ってしまうわけです。

気をつけたいなと思いました。

 

まとめ

固定観念を打破する想像力を持とう。

でも、ネット上では必ずしも感謝する必要はないという意見が結構多くて、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなと感じます。

 

モノミオン的ベストアンサーは

・なぜ感謝しなければいけないのかと疑問に思うことは正当であって、

 間違ったことではないです。ただ、親に言ってはいけない。親も人間、傷つきます。

 

ですね。

先にも紹介した、

言うことを聞かない人、解らせるではなく、コントロールする - モノミオン ラボ

でも書いた通り、

相手より一つ上の視点に立ち、なおかつ同等、それ以下であるように振る舞うことのできる賢い人の在り方です。

 

難しいですけどね(´д`)

 

 

離婚後、子供が相手との面会を拒否しない、なぜ?

離婚する夫婦が増える中、子供がいれば、親権を持たない親との子供の面会交流の問題がついてまわりますね。

 

ここでは親が離婚した子供の立場から見た世界の出来事を書いています。

 

サブタイトル

「小さい頃親が離婚したけど、ついていった母親の恋人がいい人すぎて助かった」

〜マチ子はなぜ父親との面会交流を拒否しなかったのか 〜

 

これはマチ子という女性のお話です。

25歳の彼女が過去に経験した不思議な物語を紹介します。

 

 

(プロローグ)両親の離婚、親権について


マチ子が6歳のときに両親は離婚し、彼女は母親の方へ引き取られます。
母親の親権(監護権)はすんなり決まったわけではなく、裁判(調停)で争った上でようやく決まったことになります。
 
お互いだけの話し合いではなく、問題が調停に持ち込まれたのは父親の方が親権を主張してきたからでした。
 
母親は絶対に彼女を獲得するという意気込みで争っていましたが、お互い弁護士をつけてまで争われたものの、難しい議論もなく親権は母親の元に下ります。 


《離婚後、母親の親権》

離婚前、普通に生活を送っていれば(よほど母親に問題がない限り)小さい子供の面倒を見るのは母親がふさわしいだろうと判断されるのは司法の世界では当たり前のことになっています。
たとえ母親の不貞行為、不倫による離婚であっても、小さい子供の引き取り手は母親になるケースも少なくはありません。
(不貞行為とは配偶者以外との性交渉などを言う)
 
それだけ子供にとって母親は重要ということです。
母親の不倫による離婚の場合、父親には同情してしまいますが、子供の気持ちを考えられる男ならそれには納得することでしょう。

 


離婚後、母親との暮らしは楽しかった

 
離婚後、マチ子は母親と二人で暮らすことになり、父親とは週に一回の面会で会うことになりました。
 
毎週末、父親が時間の都合のつけられる曜日に設定されます。
面会の日は母親と待ち合わせ場所へ行き、父へ引き渡され、数時間遊んだのち、帰りの時間になるとまた同じ場所で母に引き取られます。
 
マチ子はこの面会が嫌でもなく、好きでもありませんでした。
父親のいなくなった日常の生活もとくに何も感じず、家族が一人減った違和感をほとんど感じていませんでした。
 
ただ、自分が(面会に)行ってあげなければ父親がかわいそうだなという一つの感覚だけはマチ子の中にありました。
 
しかし面会が終わり自宅へ戻って日常の生活が始まると、その想いは膨らむことなく心の片隅みにポツンとあるだけで、その想いがマチ子に影響を与えることはありません。
 
母親との生活は楽しく大半の時間において父親のことなど忘れてしまっていました。
週末に近づくと義務的感覚で面会の日のことを少し考え、習い事にでも行くような感覚で面会へ出かけて行きます。


マチ子、離婚後初めて母親に面会について聞かれるが、、

ある日のこと、母親が「今度の面会どうする?」とマチ子に聞いてきました。
「どうしても行きたくないときは、行かなくてもいいからね」と母親は言います。
 
そんなことを聞かれたのは初めてのことで、マチ子は急にどうしたのだろうと不思議に感じましたが、マチ子は行くことが義務ではないのならべつに行かなくてもいいかなと思い、感じます。
 
ですが行かない状態を想像してみると、習慣になっていてた生活スタイルの変化が少し心地悪い気がしたし、父親に対するかわいそうだなという心の角に置かれた小さな想いが少し振動を起こします。
なのでマチ子は「行ってもいいけど」と答え、それならということで面会は実行されます。
 
それからたまに母親は面会の実行についてをマチ子に尋ねるようになりますが、マチ子は面会を拒むことはしませんでした。
 
母親側の実家での旅行やキャンプ、学校での行事ごとなど、何かしらのイベントがある場合や、体調が優れない場合には面会をキャンセルすることはありましたが、何の予定もなく中止にすることはありませんでした。
 
母親はなぜそのようなことを尋ねるのだろうと疑問に思うこともありましたが、マチ子が長い時間それを気にとめることはありませんでした。


マチ子、母親から男性を紹介される

離婚から3、4年が経った頃、母親はマチ子に吉本さんという男性の親友を紹介します。
 
母親はマチ子に友達だと言って紹介しましたが、マチ子には友達よりも深い関係の人なんだろうなと何となく感じていました。(マチ子10歳くらい)
 
具体的に恋人だろうというような感覚ではなく、あくまでも感覚的に母親に影響を与える人物だろうなということを肌感覚で感じていました。
 
母親の表情の作り方や肌の色みがいつもと違っていたのかもしれないし、いつもと違う匂いを発していたからかもしれません。
 
けれど母親は友達とだけしか言わないし、紹介された後にも(多分)会うことはなかったのでマチ子はその人のことはとくに気にとめることなく過ごしていきます。
 
相変わらず母親との暮らしは楽しく、父親がいないということは全く気になりません。
学校では友達とのおしゃべりの中で父親の話題がよく出てきますが、マチ子はそれら話題に感情を揺さぶられることはありませんでした。
 
友達が父親の愚痴を話せば「へー大変そう」と一次的に思うだけで深いところでは何も感じないし、父親に遊びに連れて行ってもらったという話をされても「そうなんだね、楽しそう」と親戚のおじさんに遊びに連れて行ってもらったくらいの感覚でしか捉えませんでした。
 
その頃には面会は、マチ子の習い事やクラブ活動が始まったため、2週間に1回になっていました。


俺のこと無視した? 面会のとき父親に言われ困る

ある面会の日のこと、マチ子は父親から不思議なことを言われます。
 
「この前○○競技場で見かけたけど、無視した?」と父親はマチ子に言いました。
そのとき地元のセミプロのサッカーチームの試合が行われていて、学校の友達とその母親と一緒に観戦に来ていました。
 
「目合ってたよね?こっちは両手塞がってて合図はできなかったけど目で合図してたんだよ」と父親は続けます。
 
「覚えてない」とマチ子は言います。本当に覚えていませんでした。
「嫌われたかと思って悲しくなっちゃったよ」と父親は言います。
 
嫌われる?とマチ子は思いました。
自分がこの父親を嫌うというのがどのような感覚なのかピンとこなかったのです。
 
「そんなことはない?」と父親は言います。
「ないと思うけど」とマチ子は言いました。
 
それから何度か同じようなことが起こりましたが、マチ子には全く心当たりがありません。
そしてそれを父親から指摘されるたびにマチ子は嫌な気分になりました。
 
まるで自分の分身のようようなものが自分と父親の間に介在しているような気がし、そしてその分身が父親と目を合わせているのかもしれないというような気持ちの悪い感覚にさせられます。


父の日にちなんだ授業、離婚した父親の顔を思い出せない

父の日にちなんでそれぞれの父親のことについてを考える授業が学校でありました。
そのときマチ子はある重大なことをに初めて気がつきます。
いくら思い出そうとしても父親の顔を思い出せなかったのです。
 
普通の人が、身近すぎて親しい人の顔を具体的に思い出せないものとは遥かに違う、イメージのようなものも作れなかったのです。
 
雰囲気も出てこないし、匂いを刺激する感覚も蘇りませんし、一緒にいるときの空気感も捕まえられません。
面会は一昨日も行われたばかりでした。
 
父親の顔が思い出せない、そしてそのことにすら気がつかなかった。

なぜ今までこのことに気がつかなかったのだろうとマチ子は不思議に感じますが、考えてもわかりません。
 
しだいに父親の顔が思い出せないこと以上に、なぜ父の顔が思い出せないことに気がつかなかったのかが不思議でたまらなくなりました。
 
それは少し先の暗闇の中に見たことのない新しい奇妙な物体を発見したかのように、自分の中に奇妙な新しい意識のようなものを発見したような気分でした。
自分とはなんなのだろう
 
学校でのその時間、マチ子はその不思議についてずっと思いを巡らせることになりますが、くしくもそれは授業として今やるべきことをやっていることになります。
ですがもし作文でも書かされていたらとても困ったでしょう、一行も書けなかったはずです。
 
さらに思うことがありました。
父親が最近よく言うように、街中で偶然会ったのに自分が無視してしまっているのは、顔を見ても彼のことを父親として認識していなかったのではいだろうかと、マチ子は思い当たります。
 
そしてきっとそうなのだろうと確信的に思えたのは、例えば今、廊下を父親が横切ったとして、それが自分の父親であると認識できる自信がなかったからです。
 
そしてさらに、
街中で父親を見かけたそのとき、自分は誰かと目があっているということは理解していただろうかという疑問も沸き起こります。
知らないおじさんと目が合っている、ということくらいは認識していたのかということです。
でもそれも思い出せませんでした。
 
それから時々は父親のことを思い出してみようと試みるようになりますが、いつまでたっても彼の顔や雰囲気を思い出すことができませんでした。
 
そんなこともあってマチ子は、面会のときは父親がどのような顔をしているのかを確認してみようと意識しながら父親に会います。
 
しかし、面会が終わりひと段落がついたとき「そういえばお父さんの顔を確認するの忘れてたな」という感じに毎回のようになってしまいます。
忘れてしまうのです。

 


 ようやくマチ子は親の離婚についてを考える

 
ここへきてようやくマチ子は自分の父親についてを考えるようになりました。
するとマチ子はなぜ両親が離婚することになったのかが気になり始めます。
 
それはそもそもなぜ結婚したのだろうという疑問が無意識的に根底に沸き起こったからかもしれません。
 
まるで別人に感じるこの二人(両親)が過去に結びつき、そして離婚した。
意識してしまうと、この一連の流れに違和感を感じずにはいられません。
 
そこでマチ子は母親になぜ二人は離婚したのかを尋ねることにしました。
しかし、母親と顔を合わせ、その話題を持ち出そうとするといつもその想いは消えてしまい、最終的にはまた今度でいいやとなってしまいます。
まるで磁石が磁石をはじくように、母親とその話題は結びつきません。
 
それからマチ子は一人でいるときには父親のことをふと意識するようになっていました。
ですが母親や、父親本人といるときには、不思議なことに一人のときのように父親のことが意識上に上ることはありませんでした。
 
一人でいるときは意識できます。しかしそれでも相変わらず父親の存在を感じることはありません。
 
目を閉じてイマジネーションを働かせますが、消えかけの煙が消えていくのを見ているかのように、父親のイメージは捉えることができません。


考えたあと ふと訪れる感覚、それはとても・・

あるときマチ子が父親のことを考え終わり(実質は数秒間)、いつものように何も思い浮かばなかったそのあとのこと。
 
教室の右側の窓から、左側の窓へと目を移し、遠くの空を見上げ雲の動きを追いながらしばし経過したとき、何かしら不思議な感覚が体の中に巻き起こっていることに気がつきました。
 
何かが自分の体を支配しているような感覚があり、しかしそれは嫌な感じではありません。
むしろ気分を良くしてくれるような感覚で、開いた窓から涼しい春の風が入ってくるような爽やかさが、自分の中を満たしてくれるような感じでした。
 
マチ子は正面を向き、黒板の落書きを眺め、横の日付を眺め、日直の二人の名前を眺め、その前をうようよとうごめく同級生達を眺めました。
みんなも楽しそうだなとマチ子は思います。
 
その後もマチ子はふとしたとき父親のことを考え、そのあと少しして訪れる爽やかな感覚を意識するようになりました。
 
もし自分の中に何かしら穴があるなら、その穴を満たしていくようなモワッとしたいい匂いの軽い物体、物質でした。
それが入ってくるために空けられている空間が実際に心の中にあるような気がしました。
 
意識してしばらく経つと、それは自分の中によく起きていた現象であることに気がつきます。
何も考えていない無意識の状態でいるときも、その爽やかな感覚が知らないうちに訪れていることに気がついたのです。
 
どういうときにそれが訪れているのかわかりません。
きっと何かがきっかけとなってその感覚が訪れているはず、そのきっかけ(トリガー)があるような気がマチ子はしていました。
 
スイッチが入る微かな感覚があったのです。
しかし自分で意識できるきっかけは父親のことを考えた後くらいしか見つけられません。


学校帰り、頭に浮かんだある男性の顔、父親か?

学校帰りにぼけっと歩いていたあるとき、マチ子の脳裏をよぎった一つの顔がありました。
「誰の顔だろう」
それとほぼ同時に右側の車道の対向車線側を通り過ぎていった車の運転手の顔が、一時停止したかのように目にとまり、よぎった顔と重なりました。
 
車の中の顔には見覚えがあり、そして脳裏をよぎった顔とその顔は同じでした。
 
思い浮かんだのが先か、車の人を見たのが先かは正確には判断できませんでしたが、二つの顔が重なったとき、空間がブレたような感覚をマチ子に与えました。
 
肩より上しか見えませんが、それでもがっしりと見える体格に、短かめの髪型でメガネをかけている男の人でした。
 
誰だっただろう?とマチ子は思います。
お父さんか?
いや違う、あんな鮮明に認識できる人ではないはず。
それになりより、「空間感覚」が違う。
このときマチ子は空間感覚について初めて意識することになります。
 
-- 空間感覚とは空間の鮮明度、明度あるいは色味と、それに含まれる自分で感じる自分の存在感のこととして、話を聞いた筆者が定義しています。当時のマチ子にとってはあくまで感覚的なものです。--
 
マチ子はその感覚を初めて意識することになります。
 
意識できたことにより、それが父親と関わるときの空間感覚とはまるで違うことがはっきりわかるし、日常の空間感覚とも少し違います。
空間は水を通して見たような瑞々しさと鮮やかさを持っていました。
 
それを目撃してからしばらく考えていても誰だかわかりませんでしたが、考えている間マチ子はとてもリラックスした状態になっていました。
 
目の奥の疲れがとれ、首と肩と背中の力が抜けたような感覚でした。
家に着く前からあくびが止まらず、家に入ってからベッドに倒れこみそのまま数時間熟睡します。
 
母親が玄関を開ける音がして目を覚まし母親を出迎えたとき、帰宅時に見た男性が誰だかピンときました。
吉本さんでした。
 
母親が以前紹介した友達の吉本さん。
帰ってきて見た母親の顔から連想して目撃した吉本さんの顔を思い出したのです。
マチ子は母親の顔をじっと見つめました。
 
母親の顔はいつも見ているものと変わりありませんでしたが、一度吉本さんを連想してしまうと、帰りに目撃した空間感覚混じりの母親が見えます。
 
雫を通して見たような澄んだ鮮やかな明度と、母親が加わることで追加された暖色系の色合いで自分のいる空間が作られていました。
 
マチ子はそのまま母親に抱きつき、母親のお腹のあたりに顔をゴシゴシとこすりつけながらそこで何度も深呼吸しました。
 
入ってくる匂いも含め、それはあまりにも心地よく、それをしばらくやめることができませんでした。
母親は笑いながらずっとマチ子の頭を撫でていました。
 
夕食を食べながらマチ子は母親に言います。
「またあの人に会いたいなぁ」
「あの人?・・・ああ吉本さんのことかな?」
「うん」
「わかった、聞いてみるね」と母親は理由も聞かずすんなり了承します。

 

マチ子、吉本さんに再開する

後日マチ子は吉本さんに会うことになります。

「久しぶりだね」と吉本さんに言われ少し照れましたが、マチ子はすぐに吉本さんに打ち解けます。
 
中型の水族館へ母親と3人で行き、こじんまりとしたレストランで会食を行いました。
いきなりの会食はマチ子が緊張してしまうだろうということで、最初に水族館がセッティングされましたが、その必要はなかったかもしれません。
 
人見知りのマチ子には珍しく、彼にはたくさんのことを話しました。
「マチ子ちゃんは話すのがうまいねー」と彼は言いました。
 
マチ子もこんなに人に物事をスラスラと話したことはないように思いました。
「吉本さんは聞き上手なのよ」と母親の声がうっすら聞こえましたが、そんなことは気にすることなくマチ子は次の話題を吉本さんに話し始めます。
 
その後2回ほどの会食を経て、マチ子は1人でも吉本さんに会いに行くようになります。
 
それによって母親は自分の自由な時間をこれまでより多く作ることができるようになりました。
結婚してからはやめていたスポーツジム通いや、カルチャースクールのような習い事にも行けるようになります。
 
吉本さんも忙しい身だったので、マチ子と会うのは1回につき2時間程度の週に1、2回ではありましたが、マチ子にとってはとても有意義な時間となります。 

 

 

目次の下から続きが始まります。


親の離婚後、マチ子の意識感覚が変わる

 
吉本さんと会い始めてから日常生活で父親のことを考えることはほとんどなくなりました。
 
正確に言えば考えようとする側からどうでもいいやという思いが出てきて、すぐに考えることをやめてしまうようになったのです。
 
どうせ考えてもわからないとう諦めの意識がすぐさま現れるようになったことが根本にあるのだろうし、それは吉本さんが影響しているようにも感じます。
 
吉本さんという存在がマチ子の意識を1段階引き上げたような感じになっていました。
それは上に引き上げたのか前に引っ張ったのかはわかりませんが、ある種成長のような感覚としてマチ子は感じていました。
 
よくわからないもののことを考えるのはもう過去のことだと、何かバージョンアップされたような感覚がマチ子にはあります。


離婚した父親のイメージ

そんな中、次の面会は無事終えましたが、その2週間後の面会は体調不良によりキャンセルします。
 
日常で父親のことを考えることはほとんどなくなりましたが、キャンセルの前日、父親のことを1度考えるとこれまでと違って彼の存在が頭から離れなくなりました。
 
相変わらず顔は思い出せないのですが、雰囲気のようなものは思い浮かべることができるようになっていたのです。
空間感覚とは違う、生々しい存在感のようなものです。
 
しかしその思い出される雰囲気は黒いゲジゲジした気持ちの悪いもので、それはタバコで汚染された肺の写真をマチ子に思い出させます。
ヤニのような匂いまで伝わってきそうでした。
 
マチ子はその記憶から距離を取ろうと努めますが、簡単に切り離せた今までと違い、今回はマチ子にしつこくまとわりついて離れません。
うまく空気が吸えず呼吸が浅くなり、気分がだんだんと悪くなり、吐き気までもよおしました。


父親の面会要請

キャンセルした次の週の週末に面会希望の要請が父親からあります。
母親はマチ子の様子から独断でそのままキャンセルしようかと思いましたが、一応マチ子にどうするかを聞いてみました。
 
聞かれたこの日は水曜日でしたが、このとき父親のことを思い出しても何も感じなかったし、今回は心の隅に置かれているかわいそうに感じる想いの小さな塊が軽く振動しました。
 
断り続けるのも悪いし次は行こうと決め、「いく」とマチ子は母親に言います。
マチ子は再度父親のことを考えてみましたが、晴れないモヤを眺めているような感じで、そこに負の感情を揺さぶる刺激はありませんでした。
 
その回の面会は前日に気分が悪くなることはありませんでした。
前日のその日、吉本さんと会って焼肉を食べさせてもらっていたので思い出す余地がなかったからかもしれませんが、帰って眠る前にも何も感じませんでした。


面会した父親から何か聞こえる

翌日は朝から母親と車で家を出て待ち合わせ場所へ行き、父親に引き渡されます。
引き渡されるそのとき、一瞬父親の顔が認識できたような気がしましたが、見ませんでした。
確認するという選択肢が与えられていることをマチ子は認識したことになります。
 
さらに二人になったとき、彼が何かブツブツつぶやいているのが聞こえてきます。
「ちっ、約束破りやがってくそ女が」とマチ子には聞こえました。
それから数秒が経過したのち
「なあ、マチ子はいい子だからあんな風にはなっちゃダメだぞ」と聞こえてきました。
 
ぞわぞわっとしたものが太もものあたりからこみ上げてきました。
自分が間違った場所にきてまったような恐怖のようなものがそのぞわぞわに乗って全身を覆います。
それからの記憶がありません。
 
面会が終わって2日後の朝に、面会があったこと自体を思い出す形で、あれはなんだったのだろうとマチ子は思います。
嫌な言葉が聞こえてきた、あれは父親が発したものなのだろうか、あるいは幻聴のようなものなのだろうかとマチ子は悩みます。
 
それから2週間が平穏に過ぎていきます。
吉本さんと会うのも習慣化されてしまっていて、最初のような刺激はないもののマチ子にとっては楽しい時間であり、会わずにはいられない存在になっていました。
 
長時間いることは少ないですが、毎回食べさせてもらえる食事は美味しいですし、吉本さん相手だと際限なく喋り続けてしまうほど話に没頭できるのです。
とてもリラックスでき、ストレスも解消できました。
 
子供なりに実現したい目標や、夢などを語ると、吉本さんはそれがどうすれば叶うだろうかということを一緒に考えてくれ、もし実行するなら協力するよとも言ってくれます。
とても頼もしく感じました。


それでもマチ子は母と離婚した父との面会へ行く

次の面会のときもマチ子は母親に意思を聞かれましたが「行く」と答えます。
 
しかし父親と再開してみるとまたあのブツブツとしたものが聞こえてきました。
内容は確認できませんが、父親が発していることは確認できました。
前回と声色がリンクしたので、きっと前のものも父親が言ったことだったのだろうと思いましたが、マチ子は思い出さないようにします。
 
そうだと思い、マチ子は父親の顔を見てみると、うっすらと輪郭のようなものだけが確認できましたが、意識的にそこまでしか見ませんでした。
それ以上見ることに対して拒否反応のような気配を目の奥から感じ、それは目を圧迫するような気持ちの悪い感覚でした。
 
それからことあるごとにブツブツと父親が何かを喋っているのが聞こえてきます。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・うちの子にならないか・・」
「・・・・・・・・・最悪なおn・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・男ぐせ・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・家事もしな・・・・・・・・・贅沢・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・目つきが・・・・・・・・・」
 
マチ子は目を閉じます。
だんだんとブツブツは聞こえなくなりました。
眠ってしまっていて夢を見ていたのか、あるいは通常の想像なのかはわかりませんが、この前吉本さんと決めた冬にスキーに行こうという話を具体的に思い浮かべていました。
それはマチ子の呼吸を楽にします。


父親の実家でのこと

気がつくとマチ子は父親の実家にいました。
そこには彼の両親がいましたが、もちろんそれはマチ子の祖父母にあたります。
 
この日は昼食をその祖父母の家で取りますが、面会時、昼はよくここにきて食事をしていることにマチ子は思い当たります。
自分が今ここで食事をしているんだ、という状態を初めてマチ子が意識した瞬間でしたが、そのことで少しだけモヤモヤした感覚が胃のあたりに生じました。
 
そしてそこでもブツブツが聞こえてきました。
今度は父親のものだけでなく祖母の声も混ざっています。
 
「・・・・・・・」
「ねえ、マチ子ちゃんはなんでそんなに裕福なのかなぁ?」
「・・・・・・・」
「お母さん水商売してるのかしらねぇ」
「・・・・・・・」
「そんな女のところにいるのは良くないよ、こっちで暮らしなさいね」
「・・・・・・・」
 
主に祖母の声でした。祖父の声は聞こえません。
マチ子はトイレに行き、便座に腰掛け目を閉じました。
そこから先の記憶はありません。
 
母親に面会について聞かれるが、マチ子にはよくわからない

家に帰ってから母親はしきりに「面会行きたくなかったら行かなくていいからね」と言うようになっていました。
「どうして?」とマチ子は聞きます。
「んー、そろそろ自分の考えで行動してもいいかなと思ってるのよ」と母親は言います。
 
「考えてみる」とマチ子は言いますが、結局何も考えられませんでした。
 
ふと父親が言ったブツブツの合間に聞こえてきた言葉や、祖母の言った言葉を思い出すことがありました。
 
最初はただのワードとしての認識でしたが、だんだんとあれは母親のことを言ってるのかもしれないと思うようになります。
ですが言葉の内容と実際の母親を結びつけることはありませんでした。
 
それに伴って父親の様子や、祖父母の様子をぼんやりと思い浮かべることができるようになっていました。
するとブツブツと何かを言う音が頭の中で聞こえはじめ、以前思い浮かべた黒いゲジゲジとしたものが視覚として思い出されます。
 
そのゲジゲジの存在は視覚的に思い出せる父親であり、祖母であるようでした。
 
マチ子は目を閉じ、深呼吸をします。
そうするとマチ子は眠ってしまいそうになりますが、そこが眠れない場所なら一度あくびをしてから首を回し、姿勢を正してから肩の力を抜き、しばらくぼうっとします。
眠れる場所なら寝てしまいます。

 


母親と離婚した父の正体

 
2週間が経ち、マチ子は面会に出かけます。
 
いつものように父親の車に乗り込むのですが、この日は嫌な匂いがしました。
若干のタバコの匂いと、カビ臭さのような匂いと、あとは硫黄やアンモニアのような得体の知らない匂い。
 
いつもと違う。とは思いませんでした。
逆にこれがいつも乗っている車の状態であることがマチ子にはわかります。
以前にも体感していることをなんとなく思い出したのです。
とりあえず窓を開け、そこから少し顔を出して外の排ガス混じりの空気を吸い込みました。
 
閉めてと言う声が聞こえてきましたが、その意識を留めておくことはできませんでした。
中の空間と遮断する形で窓から顔を出していたわけであり、とにかく中と関わり合いたくありませんでした。
 
それでも父親は窓を閉めようとします。
マチ子は無理やり窓から剥がされ、パワーウィンドウが上げられます。
助手席のシートベルトのあたりとシートの間に頭を固定し、まるで横にうなだれた状態でマチ子は目を閉じます。
 
深呼吸ができないので、マチ子は匂いを極力吸い込まないように意識しながら、細々と呼吸をします。
するとまたあのブツブツが聞こえてきました。
しかしブツブツが聞こえてきたのは最初だけであとは何を言ってるのかはっきりわかりました。


面会中、父親の話す異様な言葉

父親は運転しながら周りの車の文句を言いい続けます。
とても攻撃的な言葉に感じました。
 
それからだんだんとマチ子の母親の悪口を言うようになっていきました。
あれはロクでもない女だというようなことを語り、それからマチ子は俺が引き取った方がいいんだと言い、もう少し大きくなったら自分のところへ来るように説得を始め、しまいには自分にはマチ子が必要で、いないと生きていけないというようなことを悲しげな声で言いました。
 
マチ子は再び窓を開け、外の風を吸い込み、深呼吸しながら何も考えないように努めます。
 
それから(誰のものかわからない)買い物へ付き合わされ、昼前には祖父母の家へ行きました。
祖父母は喜んでいる様子に見えましたが、顔を見ることができませんでした。
このとき、もう見ようと思えば見ることができるような気がしたのですが、見てもいいものには思えなかったのです。
 
そこでも今回は大人たちが何を話しているのかがしっかりと聞こえるようになっていました。
普通の何気ない会話も聞こえてきますが、食事が始まるとやはりマチ子の母親の悪口を祖母は言い始めます。
 
掃除ができない、ご飯はまずい、頭が良くない、外面がいい、格好が派手だ、高価なカバンしか持たない、などなど。
 
「マチ子ちゃんは今のところ大丈夫そうだけど、一緒に住んでるとその内お母さんに似て来るから早くこっちに来ないとダメよ。それとも父さんの所がいい?4人で暮らすのもいいんじゃない?ねぇ?」
ととても優しい声でマチ子に語りかけます。
 
その間祖父は「まあまあ」とだけ言い続けてましたし、父親は車のときとは変わってあまり話しませんでした。
 
「あら、また新しいお洋服着てるのね、お母さんに買ってもらったの?よくお金があるわねー」
と祖母は言います。
 
マチ子はだんだんと食欲がなくなっていき、箸を動かす手が完全に止まってしまいます。
 
そのとき祖父が「外行こうか」と言ってマチ子を散歩に連れ出しました。
祖父母の家の近くには小さな公園があり、そこのブランコに座ってマチ子はしばらく揺れていました。
その間祖父は何も言いませんでした。
 
その日は動物園に行く予定になっていたので、父親と二人で動物園へ行きましたが、マチ子はずっとぼうっとしていました。
 
父親が何を話しているのかはもう認識できるようになっていましたが、その意味を自分の中に落とし込むことはしませんでした。


マチ子、ぼうっとした生活を送る  

それからマチ子はしばらぼうっとした生活を送ります。
そしてたまにお腹が痛くなったり、吐いたりしました。
 
その原因を母親に尋ねられてもマチ子は「知らない」と言いますが、それは嘘ではなく本当にマチ子にはよくわかっていなかったのです。
 
気がつくと闇のような世界から得体の知れないイボイボの手が伸びてきて、マチ子の中にそれを突っ込み、小腸のあたりを握り潰しているような感じでした。
 
次の面会はありませんでした。
今週はないんだなとマチ子は思いましたが、その理由を母親に尋ねることはしませんでした。
 
しばらく吉本さんにも会えていませんでしたが、母親は会いたいときは言ってねとよく声をかけてきます。
 
母親が作った料理を食べているとき、今日のこの料理おいしくないなと思った瞬間があり、そのとき祖母の言葉を思い出して食べているものを吐き出すことがありました。
 
カーテンの下に溜まっていた埃を見つけたり、お風呂場の排水溝に溜まった何本かの髪の毛を見たときも気分が悪くなりました。


吉本さんに会えるようになり、面会についてを語る 

面会が終わって3週間目にマチ子は吉本さんに会います。
マチ子の気分と、吉本さんの都合が合ったというタイミングでした。
マチ子はあまり話しませんでした。
 
それでも連れて行ってもらったレストランのハンバーグがおいしく、久しぶりにお腹いっぱい食事をした気がしました。
それから週に一回くらいの頻度で会い、寿司屋に行ったり、イタリアンに行ったり、ゲームセンターへ行ったりしました。
 
徐々にマチ子は話すようになり、吉本さんと再び会うようになって約1ヶ月後にはいつものように話せるようになっていました。
その間面会は一回もありません。
 
またそれから1ヶ月くらい後のこと、マチ子は面会で起きた出来事(言われたこと)を吉本さんに話します。
それは話そうと思って話したのではなく、ついつい口走ったような感じでした。
 
話した側からまずいとマチ子は思ってしまいますが、吉本さんは聞きたそうな顔をしていたのでそのまま話してしまいました。
 
マチ子はなぜまずいと思ってしまったのかは自分でもわかりせんでしたが、一度話してしまうと、話したいとう欲求を押させきれず、そのとき思い出せることは全部話しました。


自己分析を行うマチ子

吉本さんに面会のことを話すようになってから、マチ子は面会を行なっていたときのことを振り返ることができるようになっていました。
そして自分なりに父親が言った言葉や、祖母が言った言葉についてを考えてみることができました。
 
結論としては、あの人たちの言うことが当たってるのか間違っているのか本当のところははわからないけれど、自分的には母親は圧倒的に正しい存在であり、何を言われようが自分は母親にしかついて行く気はないということでした。
 
それでもたまに原因不明のめまいや吐き気をもよおすことがあり、それは過去の面会のことを思い出してのことであることがマチ子にはわかってきていました。
今まで完全に思い出せなかったものが、今でもはっきりとは見えませんが姿形を隠したまま邪悪なものとしてマチ子を襲います。


後日談、大人になった今

マチ子を襲うそのトラウマが消えることはなかなかありませんが、年々薄らいではいるし、吉本さんに話すことにより楽になれ、あるいは話そうと考えるだけでも楽になれました。
 
20歳くらいにになった頃、なんとなく確信的にわかってきたことがマチ子にはありました。
小さい頃たまに感じていた爽やかな感覚は吉本さんの雰囲気だったのだろうと。
そのときはまだ頻繁には会っていませんでしたが、吉本さんの影響を受けた母親からの印象だったのだろうと解ります。
 
母親は面会に行ったあとのマチ子の様子が変だと吉本さんに相談していました。
最初から父親や祖母は母親の悪口を言ってたのかもしれません。
 
マチ子の様子を事細かに聞きながら吉本さんは母親に色々と指示を与えていました。
言っていいこと、ダメなこと、接し方、教育の仕方、愛情の注ぎ方、リラックスの仕方などなど。
マチ子の抱えるストレスをできるだけ吸収できるような母としてのあり方をずっとアドバイスしていたのです。
 
マチ子の意思を尊重するかたちで、面会を頭ごなしに拒否することはありませんでしたが、たまには独断で中止にすることはあったようです。
 
結局マチ子は父親側では自分を閉ざすことによって、自己防衛していたわけですが、吉本さんに会うようになって意識に変化が起き、それにより視野が広がり、違う角度から父親を見ることができるようになっていきます。
 
心身ともに身近な男性の存在を確認していることで、比較対象として父親の存在も見えてきたのかもしれません。
 
そして自分が置かれている状況に気がつくことができ、なんとかまともな人間性を取り戻すことができました。
自分で面会を拒否できるようになります。
 
そのままでしたらもしかすると、二重人格になっていたり、精神障害を起こしていたかもしれません。
25歳の今でも認知的不協和を起こし、思考が一旦停止するようなことが起きたりします。
まるで意識のレールを切り替えるような、そんな時間が流れていることがあります。
 
 
吉本さんはマチ子の母親の恋人でした。
元弁護士でしたが、自分には向いていないと弁護士業はやめ、法律に関係するコンサルティング業をやっていました。
 
並行して、人の心のケアに関する仕事もボランティア的に始め、それが本業に生かされるかたちで運営していました。
元々興味のあった心理学の知識を、たまたまクライアントに試したことから始まりました。
 
祖母が言っていたように母親が金銭的に全く困っていないことは間違ってはいませんでした。それは吉本さんが支援していたからでした。
そして元々勤めていた会社も待遇は悪くなかったのです。
 
掃除や料理、男癖、頭が悪い、といったことは全くのでっち上げだったことは、母親とずっと関わっていると簡単にわかります。
あるいは祖母にはそう見えていたのかもしれませんが、真実ではありません。
 
父親と離婚した原因も、あの性格の悪さからすれば当然だろうとマチ子は納得できます。
自分のことしか考えられない男と、さらに自分のことしか考えられないその母親が家族になると考えただけでゾッとします。
でもなぜ自分の母がその男を選んだのかは未だに疑問の残るところです。
 
今でもマチ子は吉本さんを訪ねていき、食事をご馳走になります。
吉本さんに「結婚はしないの?」と尋ねると彼は「結婚願望がないんだ」と言います。
「子供は欲しくないの?」と尋ねると「子供は作りたくないんだ」と笑って言います。
 
マチ子は母親にも尋ねます「吉本さんと結婚しないの?」と。
すると母親は「もう結婚はこりごりよ」と言います。
 
今でも母親と吉本さんは仲良くしています。
お互い他に恋人がいる気配は全くないので、この二人は恋人のようなものだろうなとマチ子は思っていますが、不思議な人たちだなとも常々思っています。