モノミオン ラボ

モノミオン ラボ

monomion Labo(沖縄)

安楽死を選択する夢を見る。なぜ私は死のうと思ったのだろう

なぜ自分は安楽死を選んだのか

 

なぜ自分が安楽死を望んだのかわりません、しかしそこから夢は始まりました。

その夢の前に理由となる事態があったのかもしれませんが、そのことはもう思い出せません。

 

覚醒した意識の中でまず、夢とはなぜ唐突な設定から始まるのだろうかという疑問が私の頭を支配しました。

今述べたようにだた忘れてしまっているのか、それとも本当に唐突なのか。

でも夢事態、不可思議なものでありますからそこを深く考えても始まらないのだろうという結論に落ちつきますが、どうしても気になってしまいます。

いつものこと。

私は前提というものを必要としてしまう気質らしいです。

 

話し相手に対して、この人は何の話をしているのだとうと思うことがよくありますが、自分の夢に対してもやはり、これは何を前提として、どういう始まりになっているのだろうと気になってしまうのです。

 

やっと体を起こし、椅子に腰掛けしばらくぼうっとしていると、机の上の置かれていた「失われた時を求めて」が目につき、その冒頭を読み返してみました。

失われた時を求めてプルーストの長い小説)

そこでは語り手が夜床につきながら朦朧とした意識の中で先ほどまで読んでいた書物の内容と自分を交錯させる場面が出てきます。

このシーンを目にし私は再び己の先ほどまで見ていた夢についてを考えました。

 

こうやって夢は忘れられていくのでしょう。

目の前にプルーストがあり、その内容が自分の今の感じと重ならなければこの夢は多分一生思い出されることはなかったのだろうと感じます。

 

それに加え、よほど夢を追ってみようと思ったのは、プルースト失われた時を求めての冒頭の文章が素敵だったからに他ならなりません。

どう素敵であったかはとても表現しづらく、それを表現できる言葉の力を私は持っていません。

 

可能な限り安楽死の夢を思い出す 

 

まず私は知人から安楽死ができる錠剤を受け取り、飲むところから始まります。

ですます調では語りにくいので、ここからはである調で語りたいと思います。

 

 

その錠剤を持つ知人は「本当にそれでいいんだね」と私に問う。

「それで構わない、もう決めたことなんだ」と私は言った。

 

それを飲むと私はしばらく、神社のような広々とした屋敷の縁側に横たわって眠りに入るが、少しして目を覚ます。

 

目を覚ました瞬間の今寝ていたのだろうという感覚でもって、今寝ていたことを認識することができた。

 

(でも一方で夢の中にあって、寝ながら今寝ているんだなという感覚もあったように感じ、それはもう一つの意識感覚のように思える。

 夢の中とは自分がどの視点でその物事に関わっているのかわからないときがある。一人称なのか三人称なのか。しかし己は必ず存在することが不思議だと感じる)

 

 

私はまだ死んではいない。

 

場面は急転し今度は私は祖父母の昔ながらの古い家にいる。

(現実では、この家は取り壊されていて存在しないが元々存在した家になります)

 

私はもうすぐ死ぬのだということを意識しつつ、古さのあまり清潔感のないトイレで用をたし、お風呂に入ったりしていた。

そこには祖父母は存在しない。

懐かしき古い民家、そこに漂う祖父母の面影、そしてこれからの自分の死、

これらが作る雰囲気の中私は、切なさを含む少し惨めな気持ちになったいた。

  

そしてまた場面は変わるが、そこがどういう場所なのか、、多分この世には存在しないだろうと思う。

(しかし、霊界の類である非現実的な場所のことを言っているわけではなく、単に夢でありがちな何の施設なのかよくわからないような場所である。)

 

大きな体育館のような建物のある広い施設空間で、その施設の一部には工場のような何かしらの生産ラインが設置されていた。

風景全体の色味は明るめのクリーム色をしていて、終末的な匂いがしなくもない。

(しかし私の夢は基本的に白黒である)

 

体育館の中に移り、目の前でバレーボールをしている同級生を眺めながら私の中にふとある思考感覚が持ち上がる。

「死んだ後の次の世界において、私はこの中にこれから加わっていく」

 

目の前でバレーボールをしているこの同級生(高校生)の中に死んだ後の私は加わるのだろうと実感している。

 

ただそこは死後の世界ではない。

私が輪廻転生でこの世に生まれ変わっているという状態変化である。

そのように私は今後のことを想像していた。 

 

「私が死んでも私のことは覚えているよね?」と私は同級生に問う。

「もちろんだよ」同級生は言う。

なら大丈夫だ、そのまま仲間に加わることができる。

 

しかし、私自身は前世のことを覚えているのかしらと思い、まだ死んでいない死ぬ前の私は、現時点で前世のことを思い出してみると、その記憶は存在した。

さらには、それは今世での経験へと繋がっているようでもあった。

 

 この繋がりに関して疑問を感じた私は次のことを考えた。

目の前のバレーボールに加わる来世の自分は今と同じ年齢だろう。

私は死んだ後、いきなり今の状態で来世に誕生するのだろうか、それとも赤ん坊から誕生し大きくなった今の頃の自分の状態でバレーボールに加わっていくのだろうか。

 

そして前世の記憶は今世の途中と繋がっている。

今の私は今世で赤ん坊から誕生しているのかどうかは、思考の範囲外となっていて思い出せなかった。

 

時間軸の狂いの可能を含めた不思議な繋がり。

来世では一旦私は赤ちゃんから誕生し、今の年頃になって目の前のバレーボールに加わるのかもしれない。

私は18年先の未来の状態を、今の状態とあたかも繋がるかのような有様で、時間が平行に流れているかのような有様で、見ているのかもしれなかった。

 

また場面は変わり、今度は同士が現れる。

少し年下の女で、彼女もまた死にたいと思っていた。

彼女はどうやって死んだらいいのかと悩みを私に打ち明けていたが、そのときは安楽死の選択肢はなかった。

私は彼女に対して死なない方がいいんじゃないかと持ちかけるが、彼女は死ぬことを諦めなかった。

私自身は死を選んだわけだが、他の人が死のうとしている状態には通常の意識が働いていて死なないようにと諭すが、しかし結局強く止めようとはしなかった。

 

私たちはよくわからないその施設をぐるぐる周りながら話を進めていた。

 

彼女は生産ラインの装置の中にある、重たい物体を振り下ろす機械に目をつけ、自分の上に落下させて死のうと試みるが、振り下ろされたものがギリギリ当たらずに失敗に終わる。

彼女はとても私を慕っていて、それは私の死の雰囲気に巻き込まれているようにも感じられた。

 

次に場面が代わり今度は、私は学校(高校)にいた。

私は学校のあちこちを回って知り合いに別れの挨拶を行っていた。

一つの教室を訪ね

「私はこれからいなくなるけどまた別の機会に会おうね」と言う。

「うん、じゃあまたね」と知り合いは言う。

 

それから私は慕ってもらっていた彼女と合流し、彼女の死について模索するがその後、彼女の面影は徐々になくなっていき、なぜか今度は私のいくつか世代の違う男の子が登場する。

私は今の状態(18歳くらい)でありながら、世代違いの男の子を自分の孫のような存在として捉えていた。

その孫的な彼は一生懸命何かに抗っていて、最終的にはその抗いが成功する。

もしかするとそれは死への抗いだったのかもしれないが、それが象徴する具体的な行為はよくわからず、ぼんやりと見えているだけだった。

とにかく懸命に何かに抗っていたのだ。

 

私は孫世代のその功績に感動し涙し、そこで夢は終わる。

 

 夢の失脚スピードは早い、結局私はなぜ安楽死を選んだのか

不思議な夢に心がざわつき、プルーストの美しい文章も手伝って、 

自分が安楽死を求めたことなどの何かしらを掴めるかもしれないと書き始めたこの夢の話でしたが、

朝少し書いたところで時間がなくなり、夜に続きを書くことになったのですが、結局ほとんど忘れてしまっていました。

 

内容は朝に回想したこともあって何となく覚えていましたが、心的な感覚がほとんど残っていませんで、なかなか描写するための話軸を掴むことができませんでした。

 さすが夢といったところです。

 

 きっとこれは夢占いにでもかけた方がいい話なのでしょうが、内容の断片から自分なりに分析を試みてみますよ。

 

安楽死に象徴される内的な意識とは何だろう

安楽死や自分の死にまつわる夢は多分、今の自分の破壊、生まれ変わりたいという願望のように思えます。

 

ですが、今回の場合それを自ら選ぶというところが強烈なわけであり、そこにはさらに一つ上の死への意識があるように感じられます。

夢なわけですからその夢の中でわざわざ自分で死を選択する必要はなく、既に設定で最初から安楽死の薬を飲むことになっている方が自然なのです。

 

さらに来世の予感から前世の記憶まで備わっていて、それは今と何ら変わりのない様相であり、単に今の自分を破壊し新しい自分になりたいと願ってのことではないように思えます。

 

 

んー

退屈さを表現していたのでしょうか、

前世も来世も変わらない、どこまで行っても今と変わらないことから人生に退屈さを感じてしまっているのでしょうか。

 

あるいは死ぬことには興味があるが結局は生きている状態に未練があるのか。

 

何かがいやで死にたいわけではなく、死ぬと人はどうなるのだろうという興味があり、それを実行しようとするが、結局は同じ世界が始まってしまうのだろうという失望、

あるいは同じことが起こるというマンネリの安心感や、なんだかんだ同じ状態であって欲しいという願望があるのだろうか。

 

あるいは自分という存在を残しつつ、生まれ変わって何かしら一新された自分で今までの人たちの前に現れたいのだろうか。

 

たとえ夢でも自分を離れるのは難しい

色々と考えましたが、一つ言えそうなことは己という意識に縛られているということですね。

夢の中で死のうが生きようが結局は自分からの視点しか獲得できないということです。

意識は己と共にあり。

 

でも、

結局は私は死にませんでした。

 

夢で死んだらどうなるのだろう。

考えたら経験したことがないような気がします。