モノミオン ラボ

モノミオン ラボ

monomion Labo

「もうゆるしてください」5歳女児の文章能力からみる子供の天才性

 

最近(2018年6月)の事件報道より。

 

「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」

 

5歳の少女が親に向けて綴った文章。

 

どんなに優れた文学よりも心に刺さりますね。

 

この少女は虐待により死亡。

のちに発見されたノートには

 

 もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします

 ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおします

 これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします

 

と書かれていました。

衝撃的です。

まず感じるのは悲しみと両親への憎悪です。

被害を受けた女児は、我々の想像をはるかに超えるであろう生きた心地のしない毎日だったことでしょう。

 

しかし少し落ちつたあとにこれ(悲しみや怒り、憎悪)とは別に、

いくつか感じたことがありましたのでそれを書いていきたいと思います。

 

 

高いレベルの言語能力

 

虐待をしてしまう親からは想像できない言語表現力です。

とても5歳とは思えません。

 

5歳にしてまともな文章を作れることもしかり、

さらに自分の意思をはっきりと表現できていることにも感服します。

 

何が悪いのかを自己分析し、改善点をあげています。

今後どうするべきであるということを明確に示しています。

 

親に指示されて反省文的に書いた可能性もありますが、
そうすると「許してください」と書くかは疑問ですので、
ここでは、ある程度自分の意思で書いたとして考えていきます。

 

生きていればとても立派な人間になっていたであろう可能性を想像し、

惜しい人材を失ったなと感じました。

 

 

稀にいる高い言語レベルで話す子供

 

テレビなどを見ていてもごく稀にすごく高度な会話する子供を見かけます。

 

テレビだけではなく実際に街中でも見かけることがあります。

 

見かける度に、この子の親はすごく高度な対話でもって子供に接しているんだろうなと漠然と思っていました。

 

後天的なものだと思っていたわけですが、

この度、それはもしかすると先天的要素もあるのではないかと感じました。

 

なにせ虐待をするような親の元にいた子なのですから。

 

 

先に謝ってほしい

 

ここで、私が体験した高度な言語表現をしていた子供のエピソードを一つ。

 

ショッピングセンターで買い物をしていたときに見かけた親子の会話です。

 

母親と4歳くらいの女の子のやりとり。

 

私が見たときには二人は喧嘩の真っ最中でした。

途中から見たので原因はわかりませんが。

 

娘 「ママが謝るべきだと思う」

母 そっぽを向き商品を眺めている。

娘 「ねえ謝ってよ」

母 そっぽをむく、そして移動

娘 追いかける。

娘「ねえ、なんで謝ってくれないの?」

母 そっぽを向いている。

ーーこのようなやりとり、少し省略ーー

「もしかしたら私が悪いのかもしれない、ママに嫌な思いさせたかもしれない、でも今はママに先に謝って欲しいの。そしたら私も素直になれるから、そしたら私も謝るから、今はそうして欲しいの。そしたら全部解決するの。ママが先に謝ってくれたら私の気持ちも晴れるから。今日は私の誕生日だからそうして欲しいの」

 

 

これも衝撃的でしたね。

 

親の方が子供だな、と思う以上に子の方が大人すぎるなと思うしだい。

母親はまだ30歳前後でしたし、若さゆえ意固地になってしまうこともあるでしょう。

子供相手にどうだろうと思うところはありますが、まあ普通のような気はします。

 

 

しかし子供の方がすごすぎる

 

お互いに素直になれない、意固地になって譲歩できない感覚を完全に読み取っています。

そしてこの膠着をどうすれば打開できるかを提案しているわけです。

4歳くらいです。

 

私はこの後二人を見失い、しばらくしてまた再会しましたが、

そのときは二人は手を繋いで歩いていました。

娘の方が母親に楽しそうに甘えていました。

わだかまりが溶けたあかつきにはこのような楽しい時間が待っていることまで

娘は予測していたのだろうと推察します。

なにせ誕生日なんですからね。

 

これだけ口が達者でも子供は母親に甘えたいんですね。

 

でも母親はこんな我が娘に恐怖のようなものを感じていたりして。

自分より大人な娘。

わかりませんが。

 

 

 

やはり先天的なのか

 

上記のようなエピソードを書いていてもやはり

この言語表現能力は先天的に備わっているものなのかもしれないと感じます。

状況表現能力と言ってもいいかもしれませんが。

 

見る限りにおいて、

母親の方は何か言ってはいましたが、記憶に残るような高度な言葉は発してはいなかったと思います。

普通のことを言っていたような記憶が残っています。

「なんで私が謝るのよ」みたいな感じですね。

 

天才的です。

 

 

話を変えて↓

 

虐待は連鎖する

 

話を戻し、虐待死の事件について。

きっとこのニュースを見た人のほとんどがカメラに映された親の実際の姿を見てさらなる怒りを感じたことでしょう。

「やったのはこの親か!」みたいな。

 

私も感じました。

実物を見るとリアリティが増して、より感情移入しやすくなるのでしょう。

 

 

しかし、少しして思うこと。

きっとこの母親も親に虐待されたのかもしれないな。と。

そのような雰囲気を感じてしまいました。

 

虐待を主導した父親は再婚相手です。

母親は自分の身を案じ、夫にさからえず一緒になって虐待をしてしまったということでした。

よくあるパターンですね。

 

母親に対して「そんなに自分が可愛いか!」などの意見が見受けられますね。

しかし、

存在を認められてこなかった人は認めてくれる人には、死活問題的に絶対嫌われたくないもの。

夫の、少なくともその一側面は自分を認める存在であり、

すると夫は自分の存在を定義する存在となります。

 

この母親は、自分とは何か、どのように自分は存在していくべきなのか、

などというアイデンティティのようなものが育っていなかったかもしれません。 

 

(あくまで個人の憶測です(´д`))

 

 

根底には貧困の問題?

 

児童相談所の対応がまずかったんじゃないかという意見もよく聞きます。

もちろんそれもあるとは思いますが、行政的な場所に批判を与えるとすれば、

貧困層が増え続けている日本の状態に真剣にメスを入れる気概を感じない政府側にではないかと感じますね。

 

経済的な不自由を強いられ、生きることに余裕がないでいると、

なんの為に子供を作り、なんのために子供を育てていくのかを考えることができません。

答えはないかもしれませんが、考えることに意味があります。

余裕があっても考えない人もいますけどそれはまた別の話として。 

 

憶測の憶測ですが、

そのような貧困的要因もこの事件にはあったのではないかと思います
(事件を起こした母親の家庭環境)

もし違っていたとしても別の場所で貧困による虐待が起こる可能性は十分にあります。

 

政府の言う少子化対策は奴隷をたくさん作りたいと考えているように感じます。

 

しかしこれからはソフトの時代、奴隷を量産したところでAIには太刀打ちできませんし、

虐待因子を増やすことにも繋がります。

 

誰もが精神的余裕を持ち、人間的知性、芸術性などを十分に養える環境づくりをしていかなければ、

日本、あるいは世界は終わるような気がしてなりません。

文明が滅びます。

 

因みに、AIには文明は作れないと思います。

 

 

 

ノーベル文学賞にはこの文章を

 

今回亡くなってしまった5歳の女の子が残した文章。

 

倫理的に実際に受賞するのは難しいかもしれませんが、

もしかするとノーベル文学賞に匹敵するくらいのポテンシャルを秘めているかもしれません。

このような記録が残っていて本当によかったと思います。