モノミオン ラボ

モノミオン ラボ

monomion Labo

結構苦手?仕事コミュニケーションで汚染される思考

 

仕事でコミュニケーションに使ったエネルギー

 

ここ一週間結構喋りました。

内容としてはおしゃべり的会話です。

仕事でね。

 

なんやかやで普段の三倍以上話したかな。

そういうときもたまにはある。

プロジェクトによりけり。

 

普段使ってない脳の部位をフル稼働させた感じ。

脳トレしたような感覚。

疲れますよね。

 

コミュニケーションというものをがっつり意識した感じの一週間。

生産活動に注ぐエネルギーよりもコミュニケーションに使うエネルギーの方が多いくらい。

(まあこれも仕事のうちではありますが)

 

日本人はシャイで口数少ないとかよく言われるけど、結構おしゃべりです。

 

多分、アウエーだと急に物怖じしだすってことなのかもしれませんね。

ホームとなると急に流暢に喋り出す民族。

まあ別に変ではないか。

 

 

やっぱりみんな喋りたい?

 

世の中喋りたがりの人って結構いるんだなと感じる今日この頃。

 

多分、会話コミュニケーションというものは人を気持ちよくさせる。

 

テンションが上がると他人と関わりたくなる。

 

他の人とうまく繋がることで出てくる快楽物質がるのでしょうね。

 

 

 

あるいは、

 

気まずくならないために喋ってる感もある。↓

 

 

親しくない人とのコミュニケーションの苦痛

 

しかしながらあまり面識のない人との会話はどうでしょうね。

 

楽しめる人もいるだろうし、苦手という人も多いはず。

 

短時間なら楽しめるけど、長時間となると苦痛になってくるという人もいるはず。

 

 

気まずくならないために喋り続ける人もいる。

仕事雑談においてそういう人がいると結構助かるときもありますが

「今は静かにしていようよ」と思うこともある。

 

でも喋れるってことで色々な場面でその種の気まずさをクリアーすることができますね。

間を持たすための技術

 

しかも続けることによってだんだんと慣れてきて

少ないエネルギーでもそれが可能になってっくるはず。

(私がそう思うだけですが)

 

するとその類のコミュニケーションも楽しくもなってくるのだろうと感じます。

 

悪くない能力ですよね、、、、一見

 

 

 

 

親しくても、面識があってもコミュニケーションを取りたくない

 

たとえ親しかろうが、そこそこの知り合いであろうが仕事で雑談はあまりしたくない!

このようなパターンもあるはず。

 

そんな人もいるだろうし、そんな時もあるでしょう。

 

「時間の無駄だし必要以上に話さなくてもいい」や

「そんなうわべだけの会話をしてなんの意味があるの?」や 

「毎日毎日同じ人とそんなに喋ってよく飽きないわね!」

 

など思っている人も少なくないはず。

 

100パーセントではありませんが、

私もどちらかと言えばこの部類に属してしまいますかね。

 

 

ただ↓

 

会話コミュニケーションがうまく成立すると心地よい

 

この感覚は否めない。

自分の言ったことが相手に共感を与え、

相手の喋ったことに自分が共感を示せれば、

これはなかなか良い気持ちのするもの。

 

特にあまり面識のない人に対してはその反動やギャップも手伝って

気持ちよさのゲージはより上がるし、新しい人生の扉を開いたような感覚にもなる。

 

 

多分、

会話コミュニケーションにおいて、

定型的なセンテンスなりワードなり、質問事項なり、思考の仕方なりを

パターンとしていくつか頭の中にストックしておけば、

全くの他人相手でもある程度の日常会話は楽にこなせるのだろうなと感じます。

 

これが定着すれば、

さらにコミュニケーションのレベルをあげ、

より楽しさを演出できたり、より相手の心を開かせる術を取得したりと

より相手との信頼関係を築けたりすることもでき、

そしてそれが人生をおうかするためのものとして機能するだろうと感じます。

より良い人生を歩めそうな気がします。

 

 が

 

しかし

 

本当にそれでいいのかとも考えてしまう。

 

 

コミュニケーションで汚染される思考

 

確かにコミュニケーションがうまくいくと気持ちがいい。

社会において自分の位置付け感覚を増幅させられる。

 

ただ、気持ちの良いものには副作用やリスクがつきものですよね。

 

「酒、タバコ、覚せい剤、ギャンブル、恋愛・・・」

 

 

では端的に言ってしまうと

 

自分がなくなっていく感覚がある

 

 

会話とは多かれ少なかれ相手の顔色を伺うもの、

ある程度相手に合わせた内容や、

ある程度の思考の段階(思考のレベル)で会話を行わなければなりません。

 

最初はこれが疲れます。

 

しかし、上でも書きました、

慣れてくると少ないエネルギーでそれが可能になります。

楽にこなすことができるようになります。

すると楽しいものです。

(難しいものほど慣れれば楽しい)

 

しかし、

楽なった状態、楽しめる状態が怖いなと感じるところなのです。

 

なぜなら、

もはやそれは自分ではなくなっているから。

 

自分ではなくなっているから少ないエネルギー(慣れ)でその作業をこなせるということなのですが、

(言い方を変えると、本来の意識とは別の脳の場所に意識を常駐させている状態)

 

それはどういうことか↓

 

 

内向きに思考していることのアウトプットは難しい

 

「考え事」と言ったら何かに悩んでいるようですが、

それとは違い、

内的思考と言いましょうか、自分の中で思考しているモノ

(どれだけの人が普段それを行っているのかはわかりませんが)

 

それ(考え事)を外に向けてアウトプットするのは容易ではないと感じています。

 

もちろん内容にもよりますが、

個人的にマニアックになればなるほど人に伝えるのは難しくなってきます。

 

もし他人が理解できる言葉に変換できたとしても、

それをそのまま喋ってはダメで、

内容をさらにオブラートに包んだり、

一般的解釈した形で出力しなければ変人扱いされます。

 

その作業はなかなか骨が折れます。

 

(もともとマニアックを共有している者同士は別です)

 

 

 

仕事で久しぶりに一定期間面識の少ない人と雑談をしてみて、

 

私が普段よくする「考え事」をあまりやらなくなっていることに気がつきました。

 

とにかくインプットした情報をいかにおしゃべりネタに変換できるか、

ということに思考回路を使っていました。

思考のエネルギーや時間をそれに使っていました。

 

そしてそれが当たり前になれば、

晴れて私はおしゃべりな人間になっているのだろうなと思いました。

しかもそれが難しいものではないと感じてもいます。

 

すると私は深くものを考えない浅い思考の人間になるのかもしれません。

 

クリエイティビティが発揮されなくなるのではなかろうかと感じます。

 

 

ただ、バランスの取れた人もいるのだろう

 

もしかするとお笑い芸人に多いのかもしれません。

おぎやはぎ矢作兼などは特に思う)

 

他にも普通に存在するのかもしれません。

 

要するに二刀流ですね。

 

他人との雑談やおしゃべりも得意であり、

なおかつ、深い内的思考もする、

 

あるいは、

マニアックな内的思考をいとも簡単に一般レベルの内容に変換し、

楽しい内容を作り出せる人がいるかもしれません。

 

まあいるのでしょう^^;。

 

目指すべきはここなのか、、、

でも難しそうだなぁ。

 

 

クリエイター(芸術家)はお喋りが苦手?

 

クリエイティビティな人や、芸術度の高い人はおしゃべりが得意ではなく、

創造性がない人や、チャラい人はおしゃべりが得意、

 

みたいな分け方がなんとなくできるような気がします。

 

前者はオタクで、後者はリア充みたいな。

 

どちらかといえば私は前者の方が好ましく感じますが、

やはり両方バランスの取れた人の方が良いように感じています。

(この「良い」の定義にもよると思いますが)

 

なぜかというと、

どちらが正解なのかがわからないからです。

人生において。

(「人生」の定義にもよりますが)

 

感情論的に言いますと、

オタクであり、リア充をバカにする視点もあまり好きではないし、

自分の頭で何も考えていないようなチャラい人もあまり好きではない、わけです。

私的に。

 

それぞれ何かを見落としている感じがするから。

 

 

単純に2分割してしまうのもどうかと思いますけども、、^^;

深い内的思考にもアウトプット向きのものから

アウトプットに不向きのものまで様々ありますし、

チャらくても何も考えていないわけではなく、

むしろそこに哲学のようなものが存在していたりするのかもしれませんし。

 

 

ちなみに

「教養はハッタリだ」と言った言論人がいましたが、

言い得て妙だなと感じます。

何か言いたいか、、

知的で教養のある いかにも感じの良い人でも、

想像力が全然なく自分の頭で考えることができない人もいるということです。

逆に言うと、

想像力がなくても教養力があれば、

できた人間に見せかけることができると言うことですね。

すでに世に出ている多くの意見を引用し、

組み合わせを変え反復していればそれなりに知的に振る舞えます。

 

社会的に優秀でも頭空っぽの人はいるということです。(言い過ぎ?^^;)

 

 

仕事でコミュニケーション能力は大事かどうか

 

仕事によるのでしょうとしか言いようがありませんよね。

 

長々書いてきましたが、ここで言っているコミュニケーションとは、お喋りや雑談のことになります。

ビジネスシーンでの仕事とは少し離れた内容の会話のことです。

コミュニケーションを別のニュアンスで考えていた人はごめんなさい^^;

 

確かにおしゃべりができないときつい職種はあるかと思います。

例えば取引先の人と食事を含め一定期間共に行動することがよくある人など。 

 

しかし、そのような状態って結構無駄も多いんじゃないかと思います。

生産性が下がってしまう。

 

現状、そのようにしなければならないなら、

根本を見直すことも大事になってくるのではないかと思います。

 

そのお喋りをしなければならない時間のいくらかを仮眠に当てるか、

パソコンなどを使って仕事をするなどということを相手と合意形成するなど、、

(内容が漠然としすぎ?^^;) 

 

 んー

でもお喋りが好きな人もいるし、

それが楽しいなら別にそれもいいのかなあとも思っちゃいますね、

楽しく仕事をするっていいものですからね。

そういう人生の楽しみ方、生き方、ワークライフ、それはそれでいいのかもしれない。

 

でも中にはお喋りを望まない人もいるから難しいところ。

 

 

自分はどう働きたいか、そしてそれは可能なのか、、 

不可能ならどうするべきか、

この辺りの検証や努力が必要になってきますね。