モノミオン ラボ

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人格形成のミステリー、なぜ人は変わるべきなのか

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人は生まれながらに一つの人格を持ち合わせているのでしょうか、

あるいは育つ過程のおいて人格を獲得していくのでしょうか。

 

育つ過程が、どのような人格が作られるかに大きく影響しているだろうことはわかります。

でも今回疑問に思ったことは、人は生まれながらにして人格を持っているかどうかです。

 

人って与えられた命を概ね大切にしながら生きてるなと感じます。

特に好んで生まれてきたわけではないけど、良い人生を送れるように頑張ります。

 

そこでふと思ったのが、一つの人格を獲得し、それを持って生きていくことに必然性はあるのかどうか、ということです。

よく考えれば人格を持つことを強制されてはいないのです。

 

 

生まれ持った気質のようなものはある

人はきっと全く同じ環境で育っても、個体によって性格は変わってくると思います。

ずっと同じ刺激を受け続けてもそれに対する反応や考え方も違ってくるでしょう。

 

それは、人それぞれによって外からの刺激の受け取り方が、心の深い部分では生まれた段階から違ってくるからだろうと思います。

刺激を受け取り、処理し、何かしらの身体的な反応として出力(性格)されます。

 

身体的な能力によっても受け取り方が違ってくると思いますし、体の中に住んでいる微生物の種類や量によっても変わってくるかもしれません。

ブラックボックスのようなものですね。

 

このブラックボックスを人それぞれの気質と称し、そしてそれは生まれながらのものでしょう。

 

うるさい子もいれば、おとなしい子もいます。

泣き虫な子もいれば、打たれ強い子もいます。

優しい子もいれば、あまり人に無頓着な子もいます。

 

これらは気質によって現れてくる違いではないかと感じます。

外部からの情報を体が受け取り、その情報を身体がどのように処理するかによって変わってきます。

 

人格とは何か

私がここで定義する人格は「自分で自分を意識できる感覚」としたいと思います。

「あ、ワタシ今歩いてる!」と思えればそれは人格を持っています。

初めて自分を自覚した時、そこから人格のある人生がスタートします。 

 

自分のことがよくわかっていないでだろう乳幼児に対して人格という言葉は使えないですからね。

 

この、自分で自分を意識できる感覚は、先天的に備わっているものなのか、あるいは後天的なものなのかが今回私が気になったところです。

 

自分で自分を意識した瞬間、様々なしがらみが心身に付属してきます。

あらねばならぬ自分がスタートします。

 

もし、ある人が生きづらいしがらみを抱えてしまうなら、その人格を手放すのもありじゃないかとふと思いました。

自然発生的に始まったことなら、誰の許可なく終わってもいいわけですよね。

 

自作自演をやめるのです!

 

後天的なものだとしたらそれは可能かもしれません。

きちんと生きること、を放棄するのです。

でも人格を手放すなんてイメージができませんよね。

しかしそれは原理的には可能かもしれません。

 

今の社会においては多分そのような人は、頭がおかしくなった扱いになってしまって、この人は人格を捨てることを選んだんだな、とはなりませんから。

まず観念や、概念的なものが存在していません。

 

捨人格者ホームみたいな施設ができれば、もしかすると普通に人格を捨てる人が出てくるかもしれません。

これは後天的な場合の話。

 

しかし人格の始まりが先天的なもので、遺伝子にプログラムされたことなら、手放すことはできませんね。

 生まれたからにはとにかく自分を生きなければなりません。

 

人格を捨てられないなら

どちらにしろ人格を捨てることは今の世の中、死ぬ以外現実的ではなさそうですよね。

それならば、人格を変化させてしまうというのはどうでしょう。

(気に入らない人格だとしたらの話です)

 

正確に言えば人格の上に存在する、確実に後から形成されたものを変化さるということです。

先ほど述べたように、人は自分で自分を意識した瞬間(人格のスタート)、様々なしがらみを抱え始めます。

 

自分がこの世に始まった(変えられない)ポイントを意識し、その上に何が積み重なっているのかを考えてみてはどうでしょう。

自分はどのように生きていくのが良いのだろうと。 

 

一人前にならなくてもいい?

急な話展開ですが、この人が一人前になろうとする意識も不思議なものだなと感じます。

 

自分を意識し、自分がスタートすることになると、人は今度は一人前になることを目指すという主要テーマがどこから与えられます。

 

このテーマはどこから付与されるのか、もともと備わっているのか、それとも親が与えていくものなのか。

どんな一人前になるか!というのは環境(親)によって決まると思いますが、

始まりは先天的なものか、後天的なものか、、。

 

それはさておき、

人格の上に乗ったしがらみに多大な影響を及ぼすのがこの一人前を目指す在り方です。

 

これを取り除いたら人はどうなるのか!

社会的には生きていけなさそうですが、精神的にはどのような状態になるのか、、

想像はできません。

 

動物で考えると、成人欲求子孫繁栄のもののように感じますね。

メスを獲得し、後尾を成功させるにはきちんとした成人ならなければならないし、育てないといけないタイプの動物なら子供の分の獲物を獲得できなければなりません。

 

人間はどうでしょう。子を産まないという選択肢もありますね。

すると人間にとって一人前になるとはどのようなものになるのでしょう。

 

 

なぜかワタシが始まり、なぜかワタシは一人前を目指している

 

なぜかわかなないけど、どこかの地点から自分が始まり、そのことでなぜか自分は一人前を目指すことになっている。

 

始まりを意識した時、終わりを意識するということなのでしょうか。

 

これをベースにして無意識のうちに色々なものを積み重ねてきたけど、これらは本当に必要なものなのかどうなのか。

 

ベースまで立ち戻って想像してみるのも面白いのではないでしょうか。

 

まとめ 

思いつきで書き始め、なかなか着地点を見つけることができなかったテーマですが、誰かがこれを読んで、何か考えるきっかけになればいいなと思う所存でございます。

 

 

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